(大雄山)宗林寺
  島根県邑智郡羽須美村下口羽に建てられている「大雄山・宗林寺」です。
宗林寺(しゅうりんじ)は、臨済宗天龍寺派で、山号・大雄山のお寺です。
創建年代は詳らかではありませんが、物外和尚によるものといわれています。その後、永正3(1506)年浩雲禅師が現在の本堂の裏山の中へ当山を開基しました。
天文年間(1532-1555)琵琶甲城主・口羽通良(1512-1582)の菩提寺になりました。
文政12(1829)年現在の地に本堂が建てられました。本堂は間口15間、奥行6間の大伽藍で、他に太子堂、経蔵、楼門、観音堂、忠魂堂、土蔵等があり、宝物として兆殿司筆と伝えられる釈迦涅槃像図等があります。
境内は、戦国時代の口羽氏の館跡であったといわれています。
島根県に位置する宗林寺ですが、(広島県商工労働局観光課製作の)広島県観光ナビに毛利元就ゆかりの地として、この宗林寺の記述もありましたので、下記に紹介します。
『琵琶甲城(びわこうじょう)は、毛利元就四奉行【吉川元春(1530-1586)、小早川隆景(1533-1597)、福原貞俊(1512-1593)、口羽通良(1513-1582)】の一人口羽通良の居城で矢羽城ともいいます。
1529(享禄2)年毛利元就(1497-1571)は尼子氏に帰服したとして、阿須那(あすな)にある藤掛城の高橋興光を滅ぼしました。そのあと、毛利氏家臣、志道元良の二男通良が口羽に封ぜられ、 在地名を名乗って口羽通良と称しました。通良は、琵琶甲城を築いて居城として、のちに毛利四天王とも称されました。
この城は、赤名を経て出雲、都賀(つが)を経て石見銀山、 安芸国川根から吉田郡山城へと続く毛利氏の軍事・経済・交通の要衝にあたり、出雲地方への進出の拠点となった城で、天険の地形を利用して、本丸、二の丸の外に延びる尾根に夫々多くの郭や空掘、堅堀を設けています。
城の麓に宮尾山八幡宮、祈願寺として真言宗延命寺、城主の菩提寺臨済宗宗林寺を配し、中世城地の模式的な構えが現存しているのは、島根県下でも珍しいと思われます。』ということでこの地周辺の事を紹介しています。
2013年鉄道の日記念乗り放題切符で、伊賀和志駅(10:53着)を撮影に行ったのですが、帰りの列車が夕方になるのです。そこで隣(三次側)のここ口羽駅(15:18)始発となってる列車を利用することにし、伊賀和志駅〜口羽駅間はぶらり散歩し、時間的に口羽の街をぶらり散歩する時間がありましたので、毛利氏ゆかりのこの宗林寺を訪ねたのです。
宗林寺境内で、「口羽小学校跡地」碑をみましたので、後日、口羽小学校に電話して先生に話をうかがっている時に、“そうりんじ”と云っていたわたしでしたが、このお寺の読みが「しゅうりんじ」ということを教えていただきました。
お寺の縁起などを記述した説明板が設置されていました。書かれた文字が薄くなっていましたが、(上記のように)記述されているようでした。旧羽須美村時代に設置されたものと思われ、上から邑南町教育委員会の貼紙が貼られた時に、再度墨入れできなかったのかと思ったわたしでした。
14.02.03.裕・記編集

13.10.19.撮影
島根県邑智郡羽須美村下口羽371

13.10.19.撮影
寺号石碑 邑南町教育委員会の説明板

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影
本堂

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影
口羽家の墓所の方から本堂の方をみました

13.10.19.撮影
境内でみた「口羽小学校跡地」碑 (別頁で編集します)



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  (境内の)口羽家の墓所


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