川本町役場(現庁舎)
  島根県邑智郡川本町大字川本にある「(邑智郡)川本町役場」です。
*定礎板より昭和60(1985)年3月竣工の建物ということがわかりました。
*役場庁舎として平成28(2016)年1月1日よりこの旧保健所を改築した建物に移転しています。
  -川本町(かわもとまち)略沿革-
1889(明治22)年4月1日 町村制の施行時、川本村+因原村=川本村発足。
1927(昭和2)年4月1日川本村が町制施行して川本町となりました。
1955(昭和30)年4月1日 川下村+三原村+三谷村+邇摩郡大代村=(あたらしい)川本町発足。
1956(昭和31)年9月30日 大字川内・大字小谷・大字馬野原地区が祖式村から分離、川本町に編入。
1957(昭和32)年12月31日 大字新屋・大屋本郷を大田市に編入。
1958(昭和33)年11月1日 大字北佐木の一部を大田市に編入。
2002(平成14)年7月邑東合併推進協議会設置(川本町、邑智町、大和村)。
2003(平成15)年4月合併協議会離脱=単独町政継続。∴10月1日邑智町+大和村=美郷町発足。
  JR石見川本駅から弓ヶ峯八幡宮に行こうとした途中で「邑智裁縫女学館之跡」碑、「邑智郡役場之跡」碑を見たので、RC3階建の建物が川本町の役場だったと思ったのですが、地図ではもう少し先でした。
弓ヶ峯八幡宮で参拝して降りる時RC5階建の建物をみたのでこれが新しい川本町役場かなと思い、やけに立派な建物だなと思いましたが、聞くと「県の合同庁舎で、役場は隣の建物ですよ」と教わりました。
JR石見川本駅でいったん下車し、江津行き列車の時間まで約1時間半ほどあったのです。
昼食を摂ってもずいぶん時間があるだろうからと、事前に弓ヶ峯八幡宮への参拝と川本町役場で町民憲章碑が建立されているだろうから撮影しようと計画していたのです。

立派な建物は島根県合同庁舎の建物だとわかり、隣の川本町役場に入り、町民憲章碑がないか昼休み中の職員の方に聞こうとしたとき、見知らぬわたしたちに「こんにちわ」と役所の人に積極的に先に挨拶されたことに戸惑うわたしでしたが町民憲章碑が建立されていないか尋ねました。最初の方はわかりませんでしたが担当の方が来られ挨拶から始まり、碑は無いが玄関風除室にボードが設置されているとそこまで案内していただき、恐縮したあと撮影しました。
トイレも利用させてもらう時、庁舎内であった職員の人たちそれぞれに「こんにちは」と挨拶されたことにこのような町役場がいまの時代は、あるのだと戸惑いうれしくなる出来事でした。
町民憲章板の下に定礎板があり昭和60(1985)年3月竣工の建物であることがわかりましたが、それではいつ役場として移転したのかなと疑問を持ち、帰宅後NET検索で、もともとは保健所の建物だったことを知りました。
単独町制を選択している川本町は緊縮財政政策をとっていることが町外のわたしにもわかり、町役場職員から率先して(挨拶からはじまる)人づくり、町民憲章にある『親切でたがいに助け合いあたたかい町をつくります。』を実践していこうとしていたのだろうな~と思いながらこの頁を編集しました。
18.01.10.裕・記編集

17.12.15.撮影
島根県邑智郡川本町大字川本271-3       RC5階建建物:島根県川本合同庁舎

17.12.15.撮影
(庁舎屋根に太陽光パネルが設置されていました) 

17.12.15.撮影

17.12.15.撮影

17.12.15.撮影
(島根県邑智郡)川本町 町民憲章 

17.12.15.撮影
  川本町 町民憲章
川本町は、江の川の清流と緑に囲まれ、郡の中心として教育と文化に誇りをもつ町です。
わたしたちはこのふるさとを愛し、さらに発展することをねがい、ここに町民憲章を定めます。
一、自然を大切にし緑と水の美しい町をつくります。
一、健康でたのしい家庭をきずき明るい町をつくります。
一、力を合わせ産業を育て豊かな町をつくります。
一、親切でたがいに助け合いあたたかい町をつくります。
一、感謝の心を忘れず社会につくし住みよい町をつくります。
昭和57(1982)年4月1日制定
※町民憲章は役場玄関風除室の壁にあります。  定礎石:昭和60年3月

17.12.15.撮影
「町章入り石州瓦(せきしゅうがわら)」 
石州瓦とは、島根県の石見(いわみ)地方(旧・石見国、石州)で生産されている粘土瓦のことです。
三州瓦(愛知県西部)、淡路瓦(兵庫県淡路島)と並ぶ日本三大瓦の一つです。



「(邑智郡)川本町」編



(広島ぶらり散歩)
川本町役場(現庁舎)
川本町役場旧庁舎


「島根ぶらり散歩」


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