石窟・五百羅漢
  島根県大田市大森町の石窟に安置されている「五百羅漢」です。
※五百羅漢は1766(明和3)年3月完成しています。
※五百羅漢をお護りする(石室山無量寿院)羅漢寺は1764(明和元)年に創建されています。
※2007(平成19)年世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部として登録。
島根県観光ナビを参照すると
『羅漢寺の石窟は3室あり、1872(明治5)年2月6日浜田沖地震(M7.1)で一部崩壊していましたが平成の大修理を経て現在に至っています。
中央の石窟には釈迦、文殊、普賢の三仏、左右の石窟には石窟羅漢座像501体(左251体、右250体)が安置されています。島根県・県指定文化財です。
像の銘によると、寄進者は地元の銀山周辺や石見を始め、出雲や遠く江戸にまで及んでいます。
作者は温泉津福光(ゆのつふくみつ)の石工・坪内平七ら数名で、42cm~46cmの大きさの像はきれいに着色されています。
石窟の左手には御三卿・田安家寄進の宝篋印塔が建ち、前を流れる川には三つの石造りの太鼓橋が架けられており、これらも羅漢座像と共に石造りの太鼓橋をうけています。
羅漢寺には参拝者が絶えることがない、それは、ここの羅漢像がそれぞれ個性的な表情をしており、亡くした身内によく似た羅漢さんが必ずいるといわれているからです。』と紹介されています。
コロナ禍の2020年11月でしたが、息子が休みをとったので連れて行ってもらったのです。
お隣の島根県の石見銀山が世界遺産に登録された2007年から妻と一度は訪ねてみなくてはと云ってはいましたが、広島から日帰りコースでは観光バスの利益ルートにはならないのでしょうこれはというツアーがなかったので、妻が元気であれば運転してくれ一度は訪ねてみたいと思っていたのですがその願いは訪れることはなかったのです。
2020年コロナ禍の中、観光客も少ないとの報道に接していましたので、世界遺産センターで見るべきところなどアドバイスを受けてから3~4時間コースで(センター駐車場に車を置いて)回ろうと計画したのです。
センターの受付嬢コロナ禍の中、しつこく尋ねるわたしにへきへきしたようでわたしの要望への答えにはなっていなかったので、息子と石見銀山でみることができるという“龍源寺間歩”を見なくてはと、携帯で検索してくれた息子によると歩いていくとなると遠いと云ったのですが、センターを出たのです。
世界遺産センターから“龍源寺間歩”へ行く、
その途中最初に出合ったのがここで取り上げた「羅漢寺五百羅漢」でした。
目を悪くしてからは暗いところでは特に遠くのものはぼんやりとしか見えないのですが、それでも見てみたと思ったのです。
これだけの量、量ではないと思っても五百羅漢を安置しようとした当時の住職、それを形にした石工たちの信仰心に圧倒されながら、近くでみることができた羅漢さんたち。
コロナ禍だったとはいえ、この五百羅漢を拝観する人はわたしたちだけでしたので如何に世界遺産の中の一つだといっても名前に頼っては宝の持ち腐れではないかと思わずには居られないほど、素晴らしい羅漢さんたちでした(ので)。
説明板一つを取り上げても設置場所、説明の平易さや図解などなど目が悪い人に対してもひと工夫もふた工夫も必要かなと思った次第です。
21.12.12.裕・記編集

20.11.01.撮影
島根県大田市大森町イ804

20.11.01.撮影

20.11.01.撮影
石造りの太鼓橋は島根県の文化財指定を受けているそうですが、県の詳しい資料は公開されていないようです

20.11.01.撮影
悩ましく苦悶表情の羅漢さんはいまのわたしかな? 

20.11.01.撮影
釈迦三尊:普賢菩薩+釈迦如来+文殊菩薩

20.11.01.撮影
五百羅漢も居られれば自分に近い羅漢さんがお一人は居られると云われますが

20.11.01.撮影
説明板もみにくくなってきていました

20.11.01.撮影
ここから入っていきました 

20.11.01.撮影
太鼓橋を渡っていくことは出来ないようです

20.11.01.撮影
“不明碑” と 田安家寄進の“宝篋印塔”

20.11.01.撮影

20.11.01.撮影
“■■■造岩碑”説明板がありません 徳川吉宗の次男・田安中納言宗武(1716-1771)



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