Toyosaka Shrine
豊榮神社
  島根県大田市大森町に鎮座している「豊栄神社」です。
毛利元就(1497-1571)が祭神の毛利家ゆかりの社です。
永禄5(1562)年石見銀山を領有した元就は、自分の木像を造り山吹城に安置させたが、元就の孫・輝元(1553-1625)が洞春山長安寺を建立し、木像を移しました。
(1600年)関ヶ原の役後、石見銀山を徳川氏が支配する中で長安寺が荒廃したため、元禄4(1691)年毛利家は木像を萩の本藩へ引上げました。大森住民から木像在置の希望があり、毛利家は代わりに新しい木像を造らせ安置しました。
時代が下り慶應2(1866)年大森に入った長州軍は、藩祖の木像があるのを知り、浄財を募って本殿を始めとした境内地を整備した。中隊司令祖式信頼ら172名の隊士名が境内の献納物に刻まれています。
その後明治3(1870)年明治天皇(1852-1912)の宣下により長安寺は豊榮神社とされました。 大田市教育委員会
説明板は真新しいと云ってもいいものでしたが、神社境内は荒れ果てているな~と思ったのです。
それは、この辺り一帯が「昭和18(1943)年の水害で土砂に一部が巻き込まれた」ことがあったよう、その後遺症がいまだ癒えていないようなのです。
羅漢寺に行ったところで、レンタル自転車がある事を自転車を利用していた若い夫婦に教えてもらいましたので、龍源寺間歩まで歩くとどれだけ時間がかかり、歳を感じるわたしに行けるだろうかと思っていた処でしたので、早速教えてもらったレンタル屋さんへ行きわたしは電動自転車を借りました。
龍源寺間歩へ行く途中出合った神社で、説明板がありみると毛利元就が祭神だとあったので、お参りしたのです。 
21.12.13.裕・記編集

20.11.01.撮影
島根県大田市大森町ホ211

20.11.01.撮影
随神門     前両側に水用(桶?) 中隊力勇 

20.11.01.撮影
拝殿:入母屋、唐破風向拝付

20.11.01.撮影

20.11.01.撮影
隅棟の鬼瓦に毛利の紋:一文字三星(鳥衾にも紋が入っています)

20.11.01.撮影
本殿:塗屋造り 

20.11.01.撮影
随神門の裏側をみました



「島根ぶらり散歩」



(広島ぶらり散歩)
「石見銀山」編


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