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鳴門市撫養町大桑島字濘岩浜の鳴門競艇場駐車場にも建立されている加藤知彦作「孝養の像」です。
ここで取り上げた「孝養の像」は、笹川記念会館(東京港区)、船の科学館(東京品川区)、箕面市箕面及び全国の競艇場、競艇関係の施設に建立されているそうです。
像は笹川良一が59歳のとき、82歳の母親・テルを背負って金毘羅参りのため、785段の石段を登っている様子を表しているとされ、像の作者は加藤知彦です。 |
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え
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笹川良一 (ささかわ りょういち:1899-1995) |
昭和時代の右翼運動家。大阪府出身。豊川村尋常高等小学校卒業。
1925(大正14)年豊川村村会議員。1931(昭和6)年国粋大衆党総裁。1942(昭和17)年翼賛選挙で衆議院議員に当選。戦後、A級戦犯として収監されたが不起訴。釈放後、全国に競艇を普及させ全国モーターボート競走会連合会会長、日本船舶振興会会長として競艇収益の配分権をにぎり,政界のフィクサーとなった。
1982(昭和57)年国連平和賞。1987(昭和62)年勲一等旭日大綬章。 |
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宮島競艇場でこの孝養の像をみてから児島競艇場でも撮影しました。
この像の扱われ方に違いがあったように思いましたのでここ鳴門競艇場でも撮影したのです。 |
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場内にあるだろうと思って従業員の方に尋ねました。駐車場にあるのがその像でしょうと云うことでしたので、場内広場から撮影した後、一時場外に出ることができる券を自動発券機で出すことを案内嬢から教えってもらい像を撮影しました。この「孝養の像」はどの競艇場のものも同じですので、その像が置かれた周辺がわかるようにと今回は撮影しました。 |
15.10.01.裕・記編集 |