|
京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町の亀山公園に建立されている「塵劫記・碑」です。 |
塵劫記の著者・吉田光由(1598-1672)。幼名与七。久庵と号しました。京都嵯峨の角倉家の一族でした。寛文12(1672)年11月21日没。壽75歳。
詳略数種の寛永4(1627)年塵劫記を執筆しました。草創期のわが国算学の発展に貢献しました。以後の珠算書及び算学書はほとんどこれにならったものでした。また兄・光長とともに数学と土木技術を駆使し菖蒲谷隧道を通して嵯峨の地を潤しました。塵劫記刊行三百五十年を記念し角倉家ゆかりの常寂光寺境内にこの顕彰碑を建てる。 昭和52(1977)年10月10日 |
|
|
嵐山なども行きましたが、北野天満宮の初詣が主目的のバスツアーでした。
渡月橋をみて、亀山公園から北に向かい常寂光寺の所まで来て、バスの集合時間に間に合うには引き返さなくてはと思い、常寂光寺の拝観(もう昔になりましたが拝観していたというものの残念でしたが)は諦めるかと思った時にこの「塵劫記」に気が付き撮影しました。以前拝観した時にはこの碑に気が付かなかったと思ったからです。 |
12.01.09裕・記編集 |