らくししゃ
落柿舎

  京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町に建てられている「落柿舎」です。
落柿舎は、江戸時代前・中期の俳人・向井去来の草庵跡です。
去来は芭蕉門下(蕉門)十哲の一人でした。
松尾芭蕉(1644-1694)は、1691(元禄4)年ここを訪ね嵯峨日記を書いています。
ここに来ると今も茅葺き屋根の庵があり、土間の荒壁に蓑と笠がかけられ、「主の在・不在」をしめす名残りが留められているのでしょう(が、わたしが訪ねた時改修工事中で、その姿をみることができませんでした)。
(むかいきょらい)
向井去来:
(1651-1704)
江戸前・中期の俳人。蕉門十哲の一人。肥前国(いまの長崎市)儒医・向井元升の二男。名は兼時。字は元淵。別号を落柿舎。
貞享初(1684)年から文通により芭蕉に師事。京都嵯峨(さが)の落柿舎に住み、元禄2(1689)年の冬に芭蕉を招く、元禄4(1691)年の夏には芭蕉の宿舎として提供しました。野沢凡兆(1640?-1714)とともに「猿蓑(さるみの)※」を編んだ。俳論書「旅寝論」「去来抄」など。
※芭蕉の「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」の句に由来
嵐山なども行きましたが、北野天満宮の初詣が主目的のバスツアーでした。
渡月橋をみて、亀山公園から北に向かい常寂光寺の所まで来て、バスの集合時間に間に合うには引き返さなくてはと思い、渡月橋の所に帰る途中、この落柿舎に立寄りました。訪ねた時は改修工事中で養生シートに覆われていましたので草庵をみることができませんでした。
以前何度か訪ねた時(銀塩カメラ時代とはいえ)撮影していませんので、落柿舎の姿をわたしの頁では紹介することができませんでしたが、この頁を編集しました。以前といっても学生時代ですので40余年前に絵馬を求めて頁を編集していますので、小さな絵馬ですが落柿舎の雰囲気はわかるかなと思い(下欄に)リンク先を記しましたので。
12.01.11裕・記編集

09.01.08撮影
京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町 (有智子内親王墓と工事中の落柿舎)

09.01.08撮影

09.01.08撮影
楼門(社殿側からみました)

09.01.08撮影
改修工事のお知らせ 落柿舎の扁額

09.01.08撮影



「京都ぶらり散歩」編



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(常寂光寺の)塵劫記
嵯峨天皇皇女・有智子内親王墓
落柿舎
観光用の落柿舎の絵馬
野宮神社
藤木康成作:地の音


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