神楽殿イベント広場建設工事 竣工写真集

  高田郡美土里町大字本郷字日南山で携わった「神楽殿イベント広場建設工事」の竣工写真です。
※高田郡美土里町は、平成16(2004)年3月1日高田郡の各町村と合併し安芸高田市美土里町になりました。
(みどり)
美土里町:
広島県北部、高田郡の町。
1956(昭和31)年横田、本(ほん)、北、生桑(いけくわ)の4村が合併して町制施行、中国山地にあり、町域の大部分は山地。北部は島根県に接しています。国道433号、中国自動車道が通じ、高宮町との境界に高田インターチェンジがあります。中世末は毛利氏と尼子(あまご)氏の争乱の地となりました。米麦作など自給中心の農業と林業が盛んでまた町内には下記の13の神楽団があり最大3000人収容の「神楽ドーム」では週末の定期公演をはじめ、神楽大会など一年を通して神楽が盛んなのです。
※平成16(2004)年3月1日に高田郡の各町村と合併し安芸高田市美土里町になりました。
(かぐら)
神楽 とは:
神前に奏される歌舞。
神座を設けて神々を勧請(かんじょう)して招魂・鎮魂の神事を行ったのが神楽の古い形で、古くは神遊とも称しました。神楽の語源は、神座(かむくら)の約音とするのが定説です。
(広島)県北では神楽が盛んで、所謂石見神楽(旧舞)に対して動きが激しい新舞が多いのですが演じられていた八岐大蛇も新舞系統と思うのですが?(わたしは)いつ見ても日本人でよかったな〜〜と思うのです。
横田神楽団・中北神楽団・上河内神楽団・黒瀧神楽団・桑田天使神楽団・天神神楽団・青神楽団・錦城神楽団・美穂神楽団・塩瀬神楽団・神幸神楽団・広森神楽団・日吉神楽団。
< 美土里の神楽の革新 >
藤井昭氏著「芸備地方のまつり」という本によると次のように紹介しています。
『美土里町本郷で、戦後神楽隆盛の契機を造ったといわれる佐々木順三氏のはなしとして
戦前は儀式舞で、能舞も祭神の神徳を讃えるといった素朴なものが多く余興性が乏しかった、戦後神楽は進駐軍から国家神道に付随したものとみられ、上演する脚本をGHQに提出しなくてはならなかったので従来の神楽では通じなかった。また中国山地にもやくざ風の芝居や踊りが入ってきた。このようなことで神楽を演劇化して行こうと考えたそうで、謡曲や歌舞伎に出てくる神々を中心に‘紅葉狩’‘土蜘蛛’‘戻リ橋’‘壇の浦‘などの『新作神楽』を作ったそうです。
旧舞は同じ所作の繰り返しが多く拝みを例にしても東南西北中央の五方をそれぞれ拝みあげているが、新舞は筋道に従って舞いテンポが速く善悪の戦いや立合いの囃しにむいており人々の気持ちを浮かせた』
高田郡美土里町でのこの仕事の担当が決まって、女房運転の車で下見をした時は、敷地造成がほぼ終わっている状態でした。この地に立ち、これから造る神楽殿を何もない空間に描こうとした時、(野生の)鹿がやってき、近くでみた事は忘れえない思い出となりました(工事中に、鹿を見ることがなかったからでもあるのですが)。
神楽に関しては、出雲神楽を山陰・益田で仕事をした時にチト知り、ビデオテープを求めた事もありました。
しかし、いわゆる新舞といわれる神楽をこの目で見た事は、この仕事をするまではなかったのです。仕事にかかろうとする段取りのとき、町役場工事担当のN課長に案内していただいてみたのが、はじめてで、その舞の華麗さに飲み込まれ(わたしも)日本人だったのだな〜と思ったものでした。
08.12.07更新   00.12.28裕・編集
工 事 名 称 平成7年度神楽の丘公園整備事業 神楽殿イベント広場建設工事
工 事 場 所 広島県高田郡美土里町大字本郷字日南山463番
工      期 平成7(1995)年8月4日 〜 平成8(1996)年3月29日
構 造 規 模 S+RC造 平屋建   RC+W造 平屋建
敷 地 面 積 18,055.25u
建 築 面 積 1,722.504u        250.988u
延 床 面 積 1,722.504u        168.98u
企   業   者   美土里町
航空写真1 航空写真2 高所より遠景 正面全景
北東面全景 東南面全景 正面外観 神楽殿
イベント広場1 イベント広場2 舞 台 中 庭
楽屋1 楽屋2 事務所 女子便所



「建物」編


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神楽殿イベント広場建設工事
(美土里町)神楽ドーム
  (美土里町)神楽資料館
  佐々木順三先生顕彰碑
  (神楽門前湯治村)丸型ポスト
  (神楽の丘)マンホール蓋


「安芸高田市」編


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