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安芸郡海田町稲荷町の旧西国街道沿いに建立されている「海田市一里塚跡・碑」です。 |
広島市企画総務局都心活性化推進課発行の「西国街道めぐり」というパンフレットをわが区民センターでもらってきて見ていると、わが町附近(安芸区と海田町)に四箇所の一里塚があったという事を知ったのです。
当時のものはもうありませんが、その跡ということで石碑が設置されているようです。
海田市一里塚は広島城下から東へ二里です。 |
(いちりづか)
一里塚: |
街道で一里ごとに道の両側に土を盛り、エノキなどを植えて、距離を示す目印とした塚。
江戸幕府により全国に設置。里程標(りていひよう)。 |
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中世以前の山陽道は、畑賀から日浦山の北側甲越えを府中へ抜けるのが、通常の道筋で、海岸沿いに海田市を経由する(この画像の)道路はまだ十分整備されていなかったのです。
その後、江戸時代に入り寛永10(1633)年に、幕府巡見使(じゅんけんし)の巡察が行われたのに伴い、広島藩内の道路制度は画期的に整備が進められ道幅二間半(約4.5m)に定められ、宿駅として海田市の発展が始まりました。 |
資料は海田町役場前の説明板を参考にしました |
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わが家から自転車でわが区の図書館に行くのに海田市を通らなければならないのです、この辺りは自転車ではあるのですが何度となく通っているというのに知らなかったのです、今(2006年)回探し探して撮影したのです。 |
07.05.09更新 06.02.19裕・記編集 |