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安芸区上瀬野の(旧西国街道)道路沿いに設置されている「涼木一里塚跡碑」と「二十七丁石碑」です。
※地元の人の話では、瀬野駅から27丁の処に石碑が設置されているということですが。 |
一里塚跡ということでこの石碑が設置されているようです。涼木一里塚は、「広島城下から東へ五里」の処です。
広島市企画総務局都心活性化推進課発行「西国街道めぐり」というパンフレットで、わが町附近(安芸区と海田町)に四箇所の一里塚があったという事を知り、この「「涼木一里塚跡碑」をた死ねたのです。 |
一里塚(いちりづか) |
街道で一里ごとに道の両側に土を盛り、エノキなどを植えて、距離を示す目印とした塚。
江戸幕府により全国に設置。里程標(りていひよう)。 |
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わが家から一番遠い涼木の一里塚跡、パンフレットの地図を見ても、大まか過ぎてよくはわからないので、行ってみなくてはと女房に車で近くまで連れて行ってもらい探すことにしたのです。
ここら辺かと車から降りて都のほうへ歩いてみたがどうも違っているようで、広島城下の方へと下ってみることに少しばかり歩いたが“涼めそうな木”はない、わからないな〜さてどうするかと思っていたらたまたま自転車のご老人に会い尋ねてみました。「一里塚ですかもう少し下ったところに・・」とわざわざ連れて行ってくださったのです。話しながら歩いた時に、水準点があり、瀬野駅から二十七町の石碑もあることも教えていただいたのです。 |
2017年この近くに設置されたという「吉田松陰詠詩の地」案内板を探しながらこの辺りまで下ってきたのですが、見落としたようでこの涼木一里塚跡碑のところまで来たのです。
車に乗っておられた近所の方に「吉田松陰詠詩の地」案内板の設置場所はもう少し上流側であることを教わりましたが、せっかくここまで来たので、この水準も撮影しました。その方の話では、27丁石碑の処がもともとの一里塚があったところと云われていました。 |
17.01.19.更新 06.03.04裕・記編集 |
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関連頁:水準點(1657) |
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06.01.29撮影 |
広島市安芸区上瀬野319附近 旧道沿い |
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17.01.06.撮影 |
(跡碑の後側の石垣ひく草が生え風景がかわったようでした) |
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17.01.06.撮影 |
“涼木一里塚跡碑”と“二十七丁石碑”「こちらがもともと一里塚があった処ですよ」とご近所の方 |
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二十七町石碑(瀬野駅よりと云うことのようです) |
06.01.29撮影 |
涼木一里塚跡碑 と 二十七丁石碑 |
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06.02.22撮影 |
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この石碑の由来はわかりませんでした 1町=60間=109.0909m 27町≒2945m |
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一等水準點(一里塚跡碑から少しばかり上った所にあります、別頁編集) |
06.02.22撮影 |
06.02.22撮影 |
広島市安芸区上瀬野319-2番地先 |
一等水準点1657標高 121.3503m |
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