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安芸区瀬野の旧西国街道沿いに建立されている「落合一里塚跡・碑」です。
※2018年みた時、
この「落合一里塚跡・碑」が移設され、“志和・四日市道標”と並んで建てられていました。 |
正面: |
旧山陽道落合の一里塚跡 |
側面: |
昭和五十六年三月吉日建之 昭和56年=1981年 |
側面: |
安芸ライオンズクラブ |
裏面: |
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広島市企画総務局都心活性化推進課発行『西国街道めぐり』というパンフレットで、わが町附近(安芸区と海田町)に四箇所の一里塚があったという事を知ったのです。その跡ということで石碑が設置されているようです。
落合一里塚は広島城下より東へ四里です。
落合は「人家十四五件づつ所々にあり」と吉田重房(菱屋平七)の筑紫紀行に記されているそうです。 |
(いちりづか)
一里塚: |
街道で一里ごとに道の両側に土を盛り、エノキなどを植えて、距離を示す目印とした塚。
江戸幕府により全国に設置。里程標(りていひよう)。 |
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2006年パンフレットの地図を見て、国道2号線から一筋入った道路でJR瀬野駅を過ぎた処だなと検討を付けたのです。
わが家から自転車で行けばさほど遠くないのですが、この道は通ったことがなかったなと思っていたのです。
落合一里塚跡碑(ごみ収集ボックスを挟んで)落合(志和、四日市)道標も目に入り撮影しました。 |
2016年みた時もゴミボックスを挟んで「志和・四日市道標」と「落合一里塚跡・碑」が建立されていました。
2018年7月6日西日本豪雨で瀬野川の塚地橋が流失したと報道で知り、9月になり撮影に来たときこの落合一里塚跡・碑も撮影しようとした時、位置が変わっていたのです。
「落合(志和・四日市)道標」の根際にこの「落合一里塚跡・碑」が移設されていました。 |
19.02.15更新 06.03.08裕・記編集 |