(森永ヒ素ミルク事件被害者の天寿を全うすることを祈念する)祈念・碑

  安芸区上瀬野の個人宅前に両親によって建立されている「(森永ヒ素ミルク事件被害者・娘の天寿を全うすることを祈念する)祈念・碑」です。
-祈念・碑碑文-
『昭和30(1955)年8月24日猛毒のヒ素を混入した森永ドライミルクが販売されていた忌しい事実が公表され西日本一帯での乳児の奇病はこれが原因であることが判明して全国で12,131名が罹患し内34名死亡するという大惨事をひき起こしました。
健康優良児に選ばれた長女・暢子はこの森永ドライミルクを飲用したため不幸にもこの事件に遭遇して一人で生活する能力を奪われ今日に至っております。
齢38才を迎えるに当たり今後社会の一員として地域の皆様の温いお力に支えられて末永く天寿を全うすることを祈念しここに之を建立いたします。
               平成4(1992)年8月5日  父:山田一之  母;山田シズカ書
  ※Wikipediaには被害者の数は12,344人、うち死亡者130名とあります。
森永ヒ素(砒素)ミルク事件:
1955(昭和30)年森永乳業徳島工場の粉ミルク(森永ドライミルクMF)の製造過程で用いられた第二燐酸ソーダに、多量のヒ素が含まれていたためにこの事件が起きました。
急性ヒ素中毒で乳児130人が死亡し、近畿、中国地方を中心に1万3千人に健康被害が出ました。
1969(昭和44)年大阪大学の故・丸山博教授らが被害児を追跡調査し、脳性まひや知的障害などの後遺症をつきとめ、問題が再燃しました。
1973(昭和48)年12月森永ミルク中毒の子どもを守る会(現、森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会)、国、森永乳業の三者により、「確認書」が締結され、被害者を恒久救済することで合意し、森永乳業は救済資金を拠出することを約束しました。
この合意に基づいて「ひかり協会」(現、公益財団法人ひかり協会)が1974(昭和49)年4月に設立され、その後安定的に救済事業は進められているそうですが。
2006年わが家から一貫田へ自転車で行ってみようと思ったのです。
ここ上瀬野には旧西国街道沿いに種田山頭火の句碑が建立されているからだったのです。
その時はこの民家の前も通ったはずなのにこの祈念・碑に気が付かなかったのです。
今(2018年)回久しぶりに代橋から一貫田橋に行く途中ここ旧西国街道沿いを歩いた時にこの碑に気が付いたのです。碑文を読めば森永ヒ素ミルク事件の被害者がこの地区にもいたことを(わたしは)知ったのです。
被害者のお名前も刻まれていますので頁を編集するか迷ったのですが、(二人の息子を持つわたしは碑文にある親心というものに共感し)、ご両親の娘さんへの思い・必死の願いが込められていると思ったのでこの頁を編集しました。
19.02.05.裕・記編集

18.09.28.撮影
広島市安芸区上瀬野2 旧西国街道沿いの民家前

18.09.28.撮影
(祈念・碑)

18.09.28.撮影



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