(石見屋町の)西國街道・表示石柱

  中区幟町の歩道脇に設置されている「西國街道・表示碑」です。
(側面) 西國街道
(上面) 西國街道  石見屋町
(さいごくかいどう)
西国街道:
近世には京都と長崎を結び、江戸へ続く主要街道で、山陽道の名でも呼ばれています。
17世紀現在の形にできた西国街道は、当時陸上の大動脈として文化、社会の交流に役立っていました。これが基になって、今の国道2号になっています。
福島正則の時代(藩主:1600-1619)に広島城下へ西国街道が整備された(それまでは広島の北の方を通っていた)そうです。
2008年、京橋町の西國街道表示を編集しながら、いつから設置されたのだろうかと思っていたのです。
平成18(2006)年都市活性化推進委員会発行「広島中心部:街歩きマップ」のことを思い出し、みたのです。
しかし、そのマップにはいま京橋町・表示石柱が設置してあるところにはマーク(緑○)はなかったのです。マップをみていると西国街道が東から来て南へ曲がる処(からは少しずれていますが)に緑○のマークがあったのです。それでみに行ったのです。
それがここで紹介する石見屋町・西國街道表示だったのです。
ここは過去何度もぶらり散歩した所ですが気が付いていませんでした。少なくとも2006年には設置してあったと云うのに迂闊なことでしたが、そこが街歩きの面白さ?負け惜しみでしょうね。
2018年久しぶりに撮影しました。
2023年前を通りましたので撮影しました。
23.04.08.更新   08.05.29裕・記編集
2008年撮影
2008年わたしは、平成18(2006)年都市活性化推進委員会発行「広島中心部:街歩きマップ」をみてはじめて撮影しました。
(青柳屋2階は表千家茶道教室でした)

08.08.16.撮影
広島市中区幟町5-8地先 歩道脇 

08.08.16.撮影

08.08.16.撮影

08.08.16.撮影

08.08.16.撮影
2018年撮影
2018年久しぶりに訪ね撮影しました。
この石柱とは直接関連はありませんが、後側のお店〔和菓子・青柳屋本店〕にも目を向けました。
2階には青柳屋の大きな暖簾がかけてありましたので、茶堂教室は無くなったようでした。

18.05.16.撮影

18.05.16.撮影
西の方から来てここで南へ ここから南の旧西国街道筋をみました

18.05.16.撮影
南から(西から南へ曲がるを示す)石柱をみました     (※和菓子・青柳屋本店前に設置)
※1938(昭和13)年創業。2012(平成24)年7月店舗を改装したそうです 
2023年撮影
石柱はいままで同様佇んでいました。
後側・青柳屋の2階は空き室のままのようでした。
2023年5月8日わたくし事でしたが、亡き妻の命日にあたり、ここから東に行った処・京橋を渡り少し北側の源光院の墓前でご住職に供養のお経をあげていただいた後、街中心部に行くのにこの石柱前を通りましたので、撮影したのです。

23.05.08.撮影
広島市中区幟町5-8地先 歩道脇 

23.05.08.撮影
(青柳屋は、季節限定:はっさく大福を売り出しているようでした)


「通り・街道」編



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京橋町:西國街道表示
石見屋町:西國街道表示


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