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中区基町の広島城お堀東側に建立されている「池田勇人像」です。
*2015年7月に複製の池田勇人像に取り替えられました(ここで取り上げた像は溶解処分されました)。 |
池田勇人君ハ明治三十二年竹原市ニ生ル 京都帝國大学ヲ卒業シテ大蔵省ニ勤ム 性豪毅ニシテ誠実 善ク力ヲ尽シテ 其ノ仕ヲ全ウス 主税局長 大蔵次官ヲ歴任 推サレテ衆議院議員ニ当選シ 直チニ大蔵大臣トシテ混乱セル戦後ノ財政ヲ処理ス 爾来常ニ台閣ニ列シ 昭和三十五年自由民主党総裁トナル而シテ内閣を組織スルコト三度寛容ト忍耐ヲ政治姿勢トシ 所得倍増政策ヲ推進シテ 邦家ノ隆昌ヲ致ス 在職四年有余 恰モ東京オリンピック大成功ノ時遽ニ病厚クシテ大任ヲ辞ス 翌四十年薨去 正二位大勲位ヲ贈ラレル 郷党 ニ 象ヲ建テテ其ノ偉業ヲ讃エ敬仰ノ念ヲ新タニス
昭和四十五年十二月 前尾繁三郎 撰 |
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彫刻制作 森野圓象
昭和四十五(1970)年十二月三日建立
題字 吉田茂 書 |
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銅像は高さ12尺(約3.6m)、
重さ約650kgあるそうです。 |
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池田勇人(いけだはやと:1899-1965) |
1899(明治32)年広島県豊田郡吉名村(現・竹原市)生れ。
(旧制忠海中学校時代1学年下にニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝がおり終生の友だった。)
旧制第五高等学校を経て京都帝國大学法学部卒業。
大蔵省主税局長を経て大蔵次官歴任。
1949(昭和24)年衆議院議員当選、大蔵大臣として戦後財政処理につとめる。
1952(昭和27)年通産大臣になるが「貧乏人は麦飯を食え」の失言で辞職。
1960(昭和35)年自由民主党総裁となり内閣を組織すること三度。
『寛容と忍耐』を政治姿勢とし所得倍増政策を推進したが在職四年余1964(昭和39)年病気で辞職。 翌1965(昭和40)年死去。 正二位大勲位。 |
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広島県が生んだ総理大臣、所得倍増政策でいまの経済大国日本のもとになる偉大な人物だったと思う反面、通産大臣だった当時の「貧乏人は麦飯を食え」との発言は失言といわれていますが、池田自身の根本にあった思想ではないのかと、わたしは思っています。 |
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池田勇人像があることは以前より知っていたみていましたが、2004年になり撮影してこの頁を編集しました。
2006年交流ウォークで立ち寄った時にみた、池田勇人像サビがやたら目に付いたのです。
空気汚染でサビの進行が早いのかはわかりませんが、清掃が必要なのではないかと思ったのですが。 |
2011年に近くに来た時撮影しました。
1970(昭和45)年建立ですので銅像材質が劣るということはないように思いもしますが、年々サビが目立つようになってきています。 |
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2015年4月15日中國新聞をみていると
『池田元首相銅像7月新調へ撤去』という見出しで、『2015年4月14日劣化が進んでいたため、元首相没後50年に合わせ7月上旬新調される。・・・富山の工場で型をおこし新しい像を鋳造する。新調は遺族が申し出て、費用も全額遺族が負担する』という内容の記事でしたので、追記しました。 |
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15.04.15.更新 04.11.12裕・記編集 |