なだお ひろきち
灘尾弘吉像

  中区基町の広島城お堀西側に建立されている「灘尾弘吉」の銅像です。
※像作者:吉田正浪(1936-2011)。
※碑文:竹下登(1924-2000)。題字揮毫:宮澤喜一(1919-2007)。
灘尾弘吉先生は、明治32(1899)年12月21日広島県大柿町に生る。広島県立広島中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業、内務省に入り、大分県知事、厚生省生活局長、衛生局長、内務省地方局長等を歴任、とくに昭和20(1945)年惨害苛烈なる第二次世界戦末期から終戦に及ぶ有史未曾有の困難に際しては、内務次官として国家の秩序、民生の維持に心血を注ぎ能くその重任を全うする。
昭和27(1957)年推されて衆議院議員にとなり連続12回当選、文部大臣6度また厚生大臣として台閣に列し卓越せる指導力をもって混沌とした教育行政の刷新、社会福祉政策の充実を図り民生の安定繁栄に全力を尽し、されに衆議院議長を歴任、国権の最高機関たる国会の品格向上に裨益、国民の負託に応える。先生は性、深沈重厚、内に忠想を旨として清廉に徹し己を律すること凛然、外に断固たる信念を持し、その高風は内外から篤く敬仰される。広島県、広島市及び大柿町は先生の名誉県民、名誉市民及び名誉町民として顕彰する。平成6(1994)年1月22日死去。従二位勲一等旭日桐花大綬章を贈られる。郷党茲に像を建てて英姿を偲び偉業を後世に伝う。  
平成10(1998)年4月18日元内閣総理大臣竹下登撰
広島城お堀の東側に建立されている池田勇人(元総理)像は有名で昔からみていましたが、反対側に当たる西側のこの灘尾弘吉像は南方向(故郷大柿方向)を向いています。
2005年になって、建立が平成10(1998)年とわりと新しいというものの自転車で横を通った時に銅像があったことを知って撮影しました。
2015年基町付近の原爆関連慰霊碑を訪ねた時に、この灘尾弘吉像も久しぶりに撮影しましたので、掲載画像も見直し、この頁を更新しました。
16.04.10.更新    05.11.21裕・記編集
   関連頁:池田勇人(元総理)像

05.09.25撮影
広島市中区基町 (広島城お堀の西側) に建立されている銅像

05.09.25撮影

05.11.22撮影
 広島城内堀石垣  と 灘尾弘吉像

15.03.26.撮影

15.03.26.撮影

15.03.26.撮影
NTT基町クレドビル(35階建)  と  灘尾弘吉像
敬称は略しました



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