えんこうでんせつ
猿猴伝説
  広島に伝わる猿猴(えんこう)に関しての伝説です。
※町おこしもかね、南区段原の猿猴川に架かる大正橋東詰に「猿猴像」が設置されています。
ここでいう猿猴とは、カッパの一種で、姿が毛むくじゃらで猿に似ており、体形は≒1m、髪はオカッパで頭上に皿がある、嘴は水鳥のように尖っている、肌は蛙のように滑りがある、甲羅は海亀のような甲羅だそうです。
猿猴は、女性に化けることもでき子どもを川へ連れ込み肛門から手を入れて生き肝を抜くと語られることもあり、子どもたちに川で泳ぐのが危ないことを教えるのに猿猴(河童)を引き合いに出していたという説もあるようです。
また、老夫婦に世話になった猿猴が恩返しに川魚を届けるというほのぼのとした話も伝わっているようです。
カッパとエンコウの違いはどう解釈されているのだろうとウィキペディアなどを参考にして考えてみました。
河童(かっぱ)は、東日本で、日本古来の水の精が原型で、子どもの体形をしていたと考えられその呼び名は、「かわ(川)」に「わらは(童)」の変化形「わっぱ」が複合した「かわわっぱ」が変化したものと考えられているようです。
猿猴(えんこう)は、西日本で、大陸渡来の河童(猴)と日本の水神が合わさって、姿が毛むくじゃらで猿に似ていると考え伝えられるようになったようです。
何年か前から段原地区で「猿猴川河童祭り」が催されるようになったようです。この猿猴像が設置された緑地には、段原町内会原爆慰霊碑が建立されています。
2008年この頁を編集した時にはなかったのですが、
河童猿猴伝説の地」の説明板を南区役所が設置していますので取り上げました。
         河童猿猴伝説の地
猿猴川「河童猿猴」は、縄文時代から伝わるこの地の水神と考えられます。
広島城築城前の猿猴川は比治山の北側辺りが河口で豊富な魚貝が撮れる場所でした。そこでは豊漁や水難防止を願う対象として、川神としてあがめ祭ってきたことでしょう。
どのようにこの伝説が広まったかは定かではありませんが、室町字だに交易が盛んであった西日本沿岸に猿猴という呼び名が広まっていることから印度の猿神がる0つであるという説もあります。
18.08.12.更新   07.02.15裕・記編集

07.01.20撮影
広島市南区段原1-1 猿猴川河岸

08.07.12撮影

07.01.20撮影

07.01.20撮影

07.01.20撮影
2002(平成14)年段原町内会原爆慰霊碑を訪ねたときはこの猿猴像はなかったように思います。

15.09.05.撮影

15.09.05.撮影

15.09.05.撮影



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