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中区大手町5丁目の鷹野橋商店街の入口附近に「バタバタ石」のモニュメントが建立されています。
※(この辺り)江戸時代城下六丁目を舞台にしたバタバタのうわさが広がったそうです。 |
※江戸時代に広島城下にバタバタという奇妙うわさが広まり評判は諸国に聞こえたそうです。 |
バタバタ石の由来
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江戸時代宝暦8(1758)年広島城下最大の大火後、鷹野橋界隈に出現すると伝えられ、バタバタとムシロをたたくような音を立てる正体不明の妖怪が、婆多婆多(バタバタ)です。
誰もその姿を見たものはないが、一説ではバタバタとは、小さな石に宿る妖精ともいわれる。 |
平成7(1995)年11月11日 |
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1829(文政12)年橋南谿(たちばななんけい:医者;1753-1805)の「北窓瑣談(ほくそうさだん)」に
『安芸国広島城下辺に、パタパタというものありて神異の物也。むかしより何者たるを知る人なし。夜陰、人家窓外縁先などに来りて、急に戸を開け見れば、五、六丁も遙の遠方と聞えてパタパタというおと聞ゆ。いつも此如にて、ついに何物たるを知ることなし』とあるそうです。 |
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筵(むしろ) |
わら・藺(い)・竹などで編んだ敷物。特に、わらを編んで作ったもの。わらむしろ。 |
(ようせい);
妖精 |
主として西洋の伝説・物語に出てくる精霊。
善良なるもの、悪がしこい小人など、その姿・性格は多様である。フェアリー。 |
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ここを何度も通っていたのですが、鷹野橋の由来板を読んだのは今(2005年9月)回の交流ウォークがはじめてで、また妖精といわれるバタバタのこともはじめて知りました。
バタバタ石の回りの状況がわかる画像がなかったので撮影しました、鷹野橋商店街の入口付近ですが駐輪中の自転車の数に圧倒される画像になりました。 |
2015年大手町付近の原爆関連の慰霊碑を訪ねた時に、この「バタバタ石」のモニュメントも撮影しました。今(2016年)回更新しようと資料をみると上記の記述がありましたので、掲載画像も見直しこの頁を再編集しました。 |
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1982(昭和57)年“広島市女性教育会館”として開館され、撮影した2005年当時は“広島市女性教育センター”称していましたが、2012(平成24)年4月1日に「広島市男女共同参画推進センター(愛称:ゆいぽーと)」と改称しています。 |
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16.04.12.再編集 05.10.01裕・記編集 |