ひろしまフラワーフェスティバルと広島の歩み

  中区中島町平和記念公園の平和大通りに面して「ひろしまフラワーフェスティバルと広島の歩み」というパネルが設置されていました。
*コロナ禍に見舞われたフラワーフェスティバルでしたので、そのパネルを取り上げました。
“ひろしまフラワーフェスティバル”について
1975(昭和50)年に、平和大通りにて広島東洋カープのセントラル・リーグ優勝パレードが行われ、当時としては驚異的な30万人を動員しました。
これに後押しされ、既に平和大通り一帯を会場にした新しいお祭りの構想を練っていた中国新聞社が中心となり商工会や市側と折衝を重ね、1977(昭和52)年に初開催。3日間で計125万人を集めて大成功を収めました。
その後も毎年開催されていましたが、

2020(令和2)年は新型コロナの世界的大流行により中止されました。
2021(令和3)年は、平和大通りでのパレードを行わず、平和記念公園と旧広島市民球場を中心に開催し、ステージイベントは入場を制限して事前に募集して当選した人のみの観覧とする予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大のため無観客となり、代替としてステージイベントの公式Youtube配信を実施する事とになりました。
2022(令和4)年も平和大通りでのパレードを行わず、昨年同様大幅縮小開催となりました。
人出が多い処が苦手なわたしですので、このフラワーフェスティバルの頁をなかなか編集するには至らなかったのです。
コロナ禍で各地のお祭りが中止になる中、このフラワーフェスティバルも2020年中止になり、設置のパネルを撮影した2021年もコロナ禍で、上記のように縮小されて開催されました。
お祭りは終わっていましたがまだ設置されていたパネルを撮影しましたのでこの頁を編集しました。
 22.10.28 裕編集

21.05.27.撮影
広島市中区中島町 平和記念公園平和大通りに面する処に設置
1945(昭和20)年8月6日
広島市に史上初めて米軍が原子爆弾を投下

21.05.27.パネル撮影
被爆後市内等風景写真  広島市公文書館所蔵
1949(昭和24)年8月6日
広島平和記念都市建設法が(同時に)公布・施行
1952(昭和27)年
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)が完成
8月6日除幕 設計:丹下健三(1913-2005)
平和大橋と西平和大橋が完成 (欄干)設計:イサム・ノグチ(1904-1988)

21.05.27.パネル撮影
慰霊碑に参拝する老婦人  広島市公文書館所蔵

21.05.27.撮影
(参拝する老婦人がよくわからなかったので部分的に画像を明るくしました)
1957(昭和32)年
広島市民球場(旧広島市民球場)が完成
広島バスセンターが開業
「夢見る20年後の広島」をキャッチフレーズに平和大通りや平和記念公園等で、供木運動を展開

21.05.27.撮影
建設中の広島市民球場  広島市公文書館所蔵
1958(昭和33)年
広島復興大博覧会を開催

21.05.27.パネル撮影
広島復興大博覧会  広島市公文書館所蔵
1959(昭和34)年
米国・ハワイ州ホノルル市と姉妹都市提携
1961(昭和36)年
観音に広島ではじめての空港が開港

21.05.27.撮影
広島空港(現広島へリポート) ※昭和46年の写真
1961(昭和36)年9月15日 西区観音地区に第二種(初代)広島空港供用開始。1,200m。
1972年1,800m
1993(平成5)年10月29日 新・広島空港供用開始で、「広島西飛行場」へ改称。
2012(平成24)年11月15日 広島西飛行場供用廃止、広島へリポートとして供用開始
1972(昭和47)年
ソ連(当時)・ボルゴグラード市と姉妹都市提携
1975(昭和50)年
山陽新幹線岡山〜博多間が開通
長崎市と平和文化都市提携
広島東洋カープがセントラルリーグで初優勝

21.05.27.撮影



「平和大通り」編 広島ぶらり散歩へ


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