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広島市中区中島町の平和記念公園に建立されている「平和の灯」と「平和の池」をここで取り上げました。 |
平和の灯 |
建立: |
1964(昭和39)年8月1日 |
建立者: |
平和の灯建設委員会 |
設計者: |
丹下健三(1913-2005) |
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台座は、手首を合わせ、手のひらを大空に広げた形が表現されています。 |
灯: |
全国12宗派からの「宗教の火」と溶鉱炉等の全国工業地帯からの「産業の火」で点火されました。H=3m、幅13m、奥行8m |
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平和の池 |
建立: |
1957(昭和32)年8月3日 |
建立者: |
日本青年会議所 |
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第5回日本青年会議所会員大会の記念事業。 |
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原爆死没者慰霊碑を囲み、原爆死没者慰霊碑が浮かびあがるように設計されています。 |
当初: |
原爆死没者慰霊碑を三方囲む2m幅の池でした。 |
拡張: |
幅17m、長さ70mへと平和の灯設置の際に拡張されました。 |
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「平和の灯(ひ)」は、原爆犠牲者となった人々を慰霊し核廃絶を願う象徴として、燃え続けています。 |
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過って設置され現在はない(撤去されてしまった)説明板には、下記の文が記されていたと聞きます。 |
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『「平和の灯」は、数十万原爆犠牲者の霊を慰めるとともに核兵器を禁止し 永久平和を建設しようという日本国民の祈願(きがん)により建設されたものであり、核兵器が地球上から姿を消すまで この灯は燃えつづけることであろう。この灯は争う心ではなく 無償で献げる心の結晶である。』 |
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平和の火は、1994(平成6)年広島市で開催されたアジア競技大会で聖火としても点火されました。 |
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『2006年に「平和の灯」の北側壁部分に“ボケ”と落書きされた』と新聞報道などで知りました。
(「へいわのひ」や「へいわのともしび」などとわたしは勝手に読んでいましたが)落書き報道では「へいわのともしび」と報道していました。 |
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2000年、2001年撮影して広島ぶらり散歩「平和記念公園」編の一頁としてこの頁を編集しました。 |
2014年いままでの掲載画像では「平和の灯」「平和の池」の位置関係がわかりにくいと思いましたので、画像を増やし、配置図をつけ頁を再編集しました。 |
2023年・2024年は、8月6日の通称・平和記念式典会場の準備中をバックに平和の灯、平和の池を撮影しました。
2020年からコロナ禍で式典参加者を限定した式典になっていましたが、2024年から従来通りに自由に参加出来る式典に戻りました。 |
。24.09.11.更新 14.12.22.再編集 01.09.05裕・編集 |
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04.07.04.撮影 |
01.09.01.撮影 |
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00.08.27.撮影 |
-北から見ました- (手前)空堀部分+平和の灯+(向う)平和の池 |
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01.09.01.撮影 |
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09.05.04.撮影 |
01.09.10.撮影 |
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02.01.03.撮影 |
-南西から見ました- 平和の池、平和の灯 (被爆建物)現在のレストハウス |
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14.12.25.撮影 |
北東からみました 原爆死没者慰霊碑の周りを「平和の池」が護っています |
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17.01.28.撮影 |
「平和の灯」の向側に「原爆の子の像」がみえます |
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23.07.20.撮影 |
「平和の灯」を≒北側からみました |
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23.07.20.撮影 |
「平和の灯」の南側から「平和の池」です (手前側は空堀のようになっています) |
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23.07.20.撮影 |
「平和の灯」南端から水が溜まっています |
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24.08.01.撮影 |
「平和の灯」は下からガス管が延び火がついています |
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24.08.01.撮影 |
「平和の池」が“原爆死没者慰霊碑”を囲んでいます |
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24.08.01.撮影 |
“原爆死没者慰霊碑が”「平和の池」に浮かんだように設計されています
〔2024年は中央参道にも日除けのテントが設置され、はじめて式典会場全体に日除けテントが設置されました〕 |
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新聞報道で知りました。
『2006(平成18)年1月11日7時50分頃「平和の灯」の北側壁部分に“ボケ”と落書きがあるのを通行人が見つけた。
他に「平和祈念像」の台座裏面のも、公園内設置のトイレ壁にも赤いスプレーで“ボケ”と落書きがあった。
平和記念公園を管理する広島市緑化推進部はペンキ消しを委託業者に依頼し夕方までにほぼ消した(12日に完全に除去する)。広島中央署は器物損壊の疑いで調べている。』というような内容でした。 |
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