マルセル・ジュノー博士記念碑

マルセル・ジュノー博士 (Dr. Marcel Junod :1904-1961 ; スイスの医学者)
  1945(昭和20)年8月9日 赤十字国際委員会の駐日主席代表として来日 広島の原爆被災の惨状を聞くや直ちに占領軍総司令部へ行きヒロシマ救援を強く要請
9月8日調達した大量15屯の医薬品と共に廃墟の市街へ入り惨禍の実情を踏査 自らも被爆市民の治療にあたる
博士の尽力でもたらされた医薬品は市内各救護所へ配布 数知れぬ被爆者を救う 博士の人道的行為に感謝し 国際赤十字のヒューマニズムを讃え永く記念してこれを建てる
建立:1979(昭和54)年9月8日
建立者:ジュノー博士記念碑建立会

碑材など:黒御影石
       高さ:93cm×幅:160cm (H=76cm×W=150cm)

レリーフ制作者:芥川永(ひさし:1915-1998)
(当初、碑の回りにあった植込みが2003年撤去されて碑の下がコンクリートになっていました)

博士の当初の来日の目的は、連合軍捕虜等の動静を調査することだったそうです。
医薬品は、乾燥血漿、ペニシリン、サルファ剤、DDT、包帯などだったそうです。
(15トンの医療品のうち何者かが2トンほど抜き取ったという不祥事があったそうです)
医療品運搬員に紛れ込んでマンハッタン計画の副責任者ファーレル准将が広島視察にきて、東京に帰った9月12日に内外の新聞記者を集め『広島、長崎では死ぬべきものは死に、9月上旬現在原爆症で苦しんでいるものは皆無』という発表をして救援活動にストップをかけ、結果ジュノー博士の援助計画の妨害をしました。
 資料を調べている中で解かりましたので03.10.16追記
(ご存じでしょうから蛇足です) 1945(昭和20)年8月6日 広島に米軍原子爆弾投下
1945(昭和20)年8月9日 長崎に米軍原子爆弾投下
1945(昭和20)年8月15日 日本無条件降伏を受入、敗戦
2001年広島ぶらり散歩「平和記念公園」編に加えるべく撮影しこの頁を編集しました。
2003年資料をみていると、救援の医療品のことなどがわかりましたので追記しました。
2013年広島赤十字・原爆病院の風除室に設置されていたマルセル・ジュノーレリーフ(博士記念)碑が病院増築で、広島赤十字・原爆病院メモリアルパークに移されました。
2014年その頁を編集しようとしていますので、この平和記念公園に建立のこの碑碑文を原文に戻し、画像を追加し再編集しました。
 14.06.03再編集      03.10.16追記   01.09.30裕・編集

01.09.27.撮影
広島市中区中島町1 平和記念公園(≒南東側 平和大通り近く)

03.08.12.撮影
碑の裏側からみました
(碑前面)
英語の碑文
(碑裏面)  「無数の叫びがあなたたちの助けを求めている」
M・ジュノー著「第三の兵士」より

03.08.06撮影
左奥に2003(平成15)年8月2日ノーマン・カズンズ記念碑が建立されました。

04.01.25.撮影
碑の回りにあった植込みが(2003年撤去されて)碑の下がコンクリートになっていました

09.04.18.撮影
ノーマン・カズンズ記念碑 と マルセル・ジュノー博士記念碑

14.06.12.撮影
マルセル・ジュノー博士記念碑   (向側)平和の塔  ノーマン・カズンズ記念碑  を裏側からみました
(広島市内の)マルセル・ジュノー博士関連記念碑

03.05.08.撮影

05.09.17.撮影
広島市中区千田町1-9-6  広島赤十字原爆病院風除室 広島市中区袋町6-36 まちづくり交流プラザ北側
敬称は略しています



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