世界の子どもの平和像 (広島)

  中区基町の広電原爆ドーム前電停北側緑地帯に建立されている「世界の子どもの平和像」です。
*「世界の子どもの平和像」を略して「世子平(せこへい)」とも呼ばれています。
世界の子どもの平和像
   核兵器のない世界のために
  この像はヒロシマの子どもたちの
   愛と平和のメッセージです

         2001(平成13)年8月6日建立

佐々木禎子さん(1943-1955)と千羽鶴の話は海外にも伝わり、
米国ニューメキシコ州では子どもたちが「原爆を製造したロスアラモスに姉妹像をつくろう」と募金運動をはじめ、米国の像は1995(平成7)年にできましたが、ロスアラモスでは許可が下りず、サンタフェにあるそうです。
1969(昭和44)年原水禁世界大会で建設委員の一人当時13歳のトラビス君が「世界中に子どもの平和像をつくるのが夢」と広島で語り、日本でも建設をと東京、京都、広島などで広がり
東京では高校生が中心となりデザインは公募され高1阿部可奈子さんのデザイン
(ひびの入った卵の前でヒマワリに水をやる少女をかたどた)が選ばれ、2001(平成13)年5月5日東京都江東区・戦災資料センター建設予定地に仮設置され、除幕式が行われたそうです。
広島でも「世界の子どもの平和像を広島につくる会」高校生が中心となり街頭募金などで800余万円を集め2001(平成13)年8月6日建立をむかえたそうです。
デザインは、子どもが両手を広げ、その奥で大人の男女が手と手を固く取り合っています
像の作者は奥田秀樹        像は、黒御影製、高さ≒1.7m
2001年9月撮影し、この頁を編集しました。
同(2001年)11月この像に落書きをされたと報道で知り撮影に行きました。
落書きを見ながらこういう人間を出すような世の中になりつつあるのだろうか?“と思い、平和のことを考えることがめんどくさい”などとならないことを祈るばかりです。(別頁で編集しました)
2010年になってこの像の作者が奥田秀樹の経歴を調べているときにわかりましたので追記しました。
2015年(広島市民球場が解体されてから久しく撮影していなかったので)撮影し、この頁を再編集しました。
15.05.09.再編集    01.11.21裕・記編集

01.09.27.撮影
広島市中区基町  (広電原爆ドーム前電停北側緑地帯)

01.10.15.撮影

01.11.21.撮影
落書きされた「世界の子どもの平和像』

04.07.01.撮影
後ろからみると大人の男女が手と手を固く取り合っていることを表現していることがよくわかります。(背景は広島市民球場) 

15.04.30.撮影

15.04.30.撮影

15.04.30.撮影

15.04.30.撮影



平和記念公園・周辺」編


「平和祈念碑等建立地一覧」編


「野外彫刻など」編



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(広島市民球場前の)世界の子どもの平和像
落書きされた世界の子どもの平和像
後ろから見る世界の子どもの平和像
(東京の)世界の子どもの平和像
佐々木禎子さん
佐々木禎子さん展示パネル


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