世界の子どもの平和像(東京)

  東京都江東区北砂の東京・戦災資料センター前に建立されている「世界の子どもの平和像」(東京)です。
2001(平成13)年5月5日当時戦災資料センター建設予定地に仮設置され、除幕式が行われたそうです。
東京では高校生が中心となりデザインは公募され高1阿部可奈子さんのデザインで、(ひびの入った卵の前でヒマワリに水をやる少女をかたどたものが)選ばれたという経緯があります。
東京大空襲・戦災資料センターは、東京大空襲※の惨状を次世代に語り継ぎ、平和の研究と学習に役立つことを願って、4000名を超える方々の募金で設立された、民立・民営の資料センターです。
2002(平成14)年3月9日に開館。
さらに2007(平成19)年3月増築されたそうです(ので像周りの風景が変わっていることでしょう)。
1945(昭和20)年3月10日未明、約300機の米軍爆撃機B29による東京下町地区を目標にした無差別爆撃で、推定10万人もの尊い命が失われ、罹災者は100万人を越えたと云われています。
1945年3月10日を含め、東京には100回以上もの空襲を受けて、市街地の6割を焼失しました。
広島の世界の子どもの平和像を調べている時、この像のことも知り、東京に行った時には訪ねてみようと思っていたので2003年1月訪ねたのです。
08.12.10.更新   03.01.25.裕・記編集

03.01.15.撮影
東京都江東区北砂1-5-4  (東京・戦災資料センター前)

03.01.15.撮影
2002(平成14)年3月に開館した戦災資料センター

























































































































































































































































































































































































































































































































 


















































































































 



03.01.15.撮影

03.01.15.撮影



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