(平和記念式典で鳴らされた)三代目「平和の鐘」

  中区中島町の広島平和記念資料館・東館地下1階展示室(4)で催されている
「新着資料展」(期間:2013年6月21日〜2014年6月15日)で、“3代目・平和の鐘”が現在展示されています。
毎年8月6日催される(通称)平和記念式典で打ち鳴らされる現在の平和の鐘は5代目で、その日以外は同(東館)1階ロビー(南側)のケースに展示されていますので、もしもご存じなければ見学されたらと余計な言葉をそえました。
  広島市西区中広町にあった光元寺の(半)鐘※。
8月6日の平和記念式典で1952(昭和27)年から1963(昭和38)年まで12年間使われた三代目の「平和の鐘」です。
今日まで、光元寺の住職の息子・小田正人さん(84)が自宅で保管していたもので、後世に残してほしいと(通称)原爆資料館に寄贈されました。
鐘は直径30cm、高さ55cm、重さ21.5kg。
表面に「世界平和傳聲(伝声)之鐘」などの文字が刻まれています。光元寺は、1965(昭和40)年火災で焼けたが、鐘は無事でした。小田さんは「平和を願って鳴らされた鐘を後世に残してほしい」と寄贈を決めたそうです。
光元寺は、戦後復員してきた小田さんの父が中広中(現在・西区)の近くに創建。8月6日に法要を営む寺が多く、市は鐘の確保に苦労し、 市役所勤めの門徒から依頼され、「平和の鐘」として貸すことになったそうです。
*中國新聞2013年2月に3代目「平和の鐘」寄贈の記事がありその記事を参照しました
(はんしょう)
半鐘:
釣鐘の小さいもの。本来は寺院・陣中などの合図に用いました。
江戸時代から火の見櫓につるし、火災・洪水・盗賊などの非常時に鳴らすようにもなった。
(でんせい)
伝声:
ことづけること。伝言。











































































































































昭和31年=1956年        昭和20年=1945年
「市民が描いた原爆の絵」展が、6月で新しくなっただろうと、平和記念資料館東館地下一階の展示室(3)に立ち寄ったのです。いままで、展示室(3)だけで催されていましたが、今年は、同じフロアーの展示室(4)の半分で市民が描いた原爆の絵『ピカに遭った人々』が催されていました。
残り半分は今までこの展示室全部で展示されていた『新着資料展』が催されています。
その中で、この(三代目)平和の鐘を四方から見ているときに(一部に)文字が刻まれていましたので顔を近づけ眼鏡をはずしてみているときに警備員の方が巡回に来られ、不審者と思われたのでしょう横目で見られながら展示室をぐるっと巡回されました。
13.07.28. 裕・編集

13.07.18.撮影
広島市中区中島町1  広島平和記念資料館・東館地下1階展示室(4)

13.07.18.撮影
(見学しているとき他の見学者は誰もありませんでした)

13.07.18.撮影
手前が「平和の鐘」 奥側が市民が描いた原爆の絵『ピカに遭った人々』が催されています
‘特製’と鋳込まれていました

展示の写真を13.07.18.撮影
平和記念式典での平和の鐘   撮影:佐々木雄一郎(1917-1980)、写真提供:(長男の)塩浦雄悟
敬称は略しました



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