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毎年8月6日中区中島町の平和記念公園で催される(通称)平和記念式典で、米軍による原爆投下時刻の午前8時15分から1分間鐘(平和の鐘)を鳴らし、式典参加者は黙祷をして原爆死没者に対して哀悼の意を表しています。
そのとき打ち鳴らされるのがここで取り上げた「平和の鐘」です。
広島市によると平和の鐘と称し打ち鳴らすようになったのは1947(昭和22)年の平和祭からだそうです。
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*8月6日には法要を営むお寺が多く、(広島)市は鐘の確保に苦労していたそうです。 |
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初代 |
1947(昭和22)年 |
洋風の鐘(鐘は盗まれたそうです) |
2代目 |
1949(昭和24)年 |
広島銅合金鋳造会寄贈の平和の鐘(現在中央公園に設置) |
3代目 |
1952(昭和27)年〜1963(昭和38)年 |
西区中広町にあった光元寺の鐘(現在平和記念資料館所収蔵) |
4代目 |
1964(昭和39)年〜1966(昭和41)年 |
南区元宇品町の観音寺の鐘 |
5代目 |
1967(昭和42)年〜 |
香取正彦作の平和の鐘、(普段は資料館東館に展示) |
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2代目の広島銅合金鋳造会の鐘は大きすぎて、式典段取りで手間取ることから半鐘を打ち鳴らすようになったのではとわたしは思っています。 |
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通称・平和記念式典で打ち鳴らされる「平和の鐘」にわたしが関心を持ったのは2003年頃からだったように思います。
というのはその2003年5月中央公園で広島銅合金鋳造会の平和の鐘をみて、説明板を読み(平和記念式典の前身とはいえ)平和祭で打ち鳴らされた鐘だったことを知り、その(2003)年8月6日平和記念式典後片付けられようとしていた現在の平和の鐘を撮影したのです。
今(2013)年になって、3代目の平和の鐘が、平和記念資料館に寄贈されたということで、中國新聞に記事が出て、初代の平和の鐘から現在の5代目に至る歴史が記述されていたことで、記事を参考にしてこの頁を編集することができました。 |
13.07.29. 裕・編集 |