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中区大手町の平和記念公園(原爆ドーム北西側)に建立されている「中国四国土木出張所職員殉職碑」です。
※1947(昭和22)年木製碑で建立されたが、1954(昭和29)年に自然石の歌碑に取替えられたそうです。 |
碑表: |
原爆のいけにへとなりし人々
なごみゆく世の いしずゑにして
阿部一郎 |
碑裏: |
元内務省中国四国土木出張所職員五十二名は国民義勇隊として作業中昭和二十年八月六日の原爆並びに戦災により、平和の礎となりこの地に眠る
昭和二十九年八月六日 建設省中国四国地方建設局 職員一同建之 |
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碑文は昭和29(1954)年8月6日建立時の建設省中国四国地方建設局・阿部一郎所長の弔歌だそうです。 |
碑は、自然石(呉市郷原産出だそうです、)H≒1.2m、W≒1.5m。 |
中国四国土木出張所職員93名の内
殉職者52名内訳(男性30名、女性22名。庁内執務者13名、作業出動者32名、行方不明7名)だったそうです。
1944(昭和19)年3月産業奨励館としての業務が停止され、被爆当時各統制会社や中四国土木出張所などになっていました。 |
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2001年に撮影しこの頁を編集しました。 |
平和記念公園に来られる方はまず原爆ドームはご覧になるでしょうしこの碑もご覧になった事でしょう。
原爆ドーム等の説明碑が設置されている処から西側(元安川側)に行ったとことに建立されています。
2007年になりましたが「中国四国土木出張所職員殉職者の方々」を刻んだ石碑に注目した別頁を編集しました(リンクは下段にかいています)。 |
23.07.24.更新 15.01.15.再編集 01.10.30裕・編集 |