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中区中島町の平和記念公園・原爆死没者慰霊碑前に設置されている「スロープ」を取り上げました。
※このスロープは2011(平成23)年に施工整備されたものです。
※階段両側に、幅≒2m、長さ≒16mのスロープ。足元にはLED照明9基(ずつ)設置されています。 |
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1949(昭和24)年「平和記念公園」計画、競技設計(コンペ)時の丹下健三グループ案には、
平和記念館--巨大アーチの慰霊塔には傾斜や段差は無かったのです。 |
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1951(昭和26)年丹下(1913-2005)がイサムノグチ(1904-1988)に原爆慰霊碑の設計を依頼した時、
原爆慰霊碑がある中央部を高くする事を丹下にスケッチを添えて提案しています。
ノグチは原爆慰霊碑を設計しましたが、原爆投下国の人間という理由で採用されなかったのです。
結局(現在の)原爆死没者慰霊碑を設計した丹下は、ノグチの考えを取り入れ慰霊碑がある処を舞台(祭壇)に見立てるように段差を設けました。 |
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当時は、高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる建築物の設計思想は希薄で、丹下でさえも階段を設けただけでスロープは造られなかったのです。
但し、正面参道からは×ですが、東西方向からは車椅子でも原爆死没者慰霊碑前には行けました。 |
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1994(平成6)年6月29日高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(通称・ハートビル法)が制定されました。
続いて、2006(平成18)年12月20日、高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(通称・バリアフリー新法)の施行されました。
建築物ではなかったというものの公共空間であるこの段差がある場所にスロープが整備されたのは2011(平成23)年7月になってのことでした。
被爆者団体などの要望に応える格好を取っていますが市が積極的に設けなければならなかったのです。 |
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2011年にこのスロープ工事の頁を編集しようと撮影していたのですが頁編集をしていなかったのです。
2019年の今になりましたが、スロープ設置に至る歴史を紐解き、この頁と(別頁で)スロープ設置工事の頁を編集しました。 |
頁を編集した時足元を照らす照明基を撮影していなかったのです。同(2019)年10月に撮影していましたが、更新をしていなかったのですが。 (2020年新型コロナウィルスが猛威をふるい全国に緊急事態宣言が出され自宅待機要請ということで、この頁も更新した次第なのです) |
20.05.05.更新 19.09.05. 裕・記編集 |
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10.12.13.撮影 |
広島市中区中島町1-2 広島平和記念公園広場 (スロープ工事前、工事予定看板が設置されています) |
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11.05.13.撮影 |
原爆死没者慰霊碑への階段両側に仮囲いが設置されています (旧市民球場の照明塔が写っています) |
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11.09.05.撮影 |
2011年完成してひと月ほど過ぎた9月に撮影しました |
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19.06.25.撮影 |
2019年6月見慣れた風景になった原爆死没者慰霊碑前 (旧市民球場の照明塔は既にありません) |
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19.06.25.撮影 |
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19.06.25.撮影 |
原爆死没者慰霊碑側(北側)からみました |
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19.06.25.撮影 |
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19.06.25.撮影 |
両側のスロープ (耐震工事中の通称原爆資料館をみました) |
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19.10.18.撮影 |
19.10.18.撮影 |
立ち上がりコンクロートがある部分は、フットライトが設置されています |
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19.10.18.撮影 |
立ち上がり部分がないところは縦型ライトが設置されています |
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敬称は略しました |