被爆遺構展示館

  中区中島町の平和記念公園(旧中島地区部分)に建てられた「被爆遺構展示館」を取り上げました。
※鉄骨造平屋、建築面積:86.2u、床面積:81.09u。遺構展示は3.2m×3.2m=10.24uの小さな展示館です。
※2022(令和4)年3月26日(土)開館しました。入館は無料です。
※1)2022年8月4日被爆遺構展示館で案内業務の男性(78歳)死亡(病死とみられる)ニュースで知りました。
広島市は、(旧中島地区)被爆遺構館を次のようにいっています。
『被爆遺構展示館は、被爆の実相を直接見て肌で感じていただけるよう、原子爆弾による被害の痕跡が残る住居跡やアスファルト舗装された道路跡などを露出展示しています。
被爆当時の町並みの遺構を通じ、平和記念公園を訪れる人々に、「この地」にはかつて多くの人が暮らす町があったこと、そして「この地」に暮らしていた人々の日常がたった一発の原子爆弾により一瞬にして失われてしまったこと、そして被爆後の先人たちのたゆまぬ努力により「この地」が平和の象徴としての公園として整備され、平和で美しい町として復興を遂げたことをご覧いただけます。』と。
『被爆遺構の活用を求める市民の声を受け、広島市は良好な保存状態で2018(平成30)年に見つかった遺構を展示すると決め、被爆75年事業の一環で施設を整備した。』と云っています。
しかし、広島市民の末席に居るわたしは、「被爆遺構を展示しないより小規模でも展示したではないか」とでも云っているような、この施設を建てた広島市に対して、言葉は汚く拙いとは思いますが“これっぽち”の展示で、被爆の実相を感じてくれと云っているように思えてならないし、規模はまだまだ大きくなくてはならないとわたしは云いたいのです。
以前見学したことがある、阪神・淡路大震災の“生きた教材”ともいえる「野島断層保存館」は延床面積:4,047uもあるのです。
見学した時、この断層があの阪神・淡路大震災のおおもとかと実感したのです。
この被爆遺構展示館の建築費が1億円未満の9千40万円だったことから決済基準から担当者レベルで決定できる規模だったのではと穿った見方をしたのです。
野島断層保存館のように数億円以上もかかるとしたら市議会での喧々諤々の質疑があり(あった方がより市民に寄り添った施設になるのではと思いもします)、議会承認が必要となってくるからではないかともわたしは思ったのです。
※1) 新聞などの報道によると
『広島市は2022年8月4日、「被爆遺構展示館」で案内業務をしていた男性(78)が意識不明の状態で発見され、搬送先の病院で死亡が確認されたと発表した。病死とみられる。
広島市によると午前9時25分頃、被爆遺構展示館の風除室で意識がない状態でパイプ椅子に座っている男性を来館者が発見、近くにいた警察官に知らせた。男性は病院に搬送されたが、約1時間20分後に死亡が確認された。
男性は、広島市が委託しているシルバー人材センターから派遣された会員で、来館者に手指の消毒を促したり、展示の説明を行ったりする案内業務に従事。この日は午前8時半から1人で勤務していた。』
2022年8月5日追記
1兆円を超える市債という大借金自治体・広島市が被爆都市というだけで九千万円余りを掛けて行わなければならない工事だったのか(と計画の理屈をこね回されても)一般市民が思う中、有識者を集めて懇談会で検討したとしてこの被爆展示施設工事に取り掛かりました。(しかし、建物を造ればランニングコストというこの展示施設を継続していく費用というものがかかってくるを忘れてはならないのです)。
まだまだコロナ禍であることから見学者が押し寄せることはないのが現状でしょうが、この頁を編集し、わたしの屁理屈を述べていますが、
完成したからには少しでもこの被爆遺構展示館の宣伝をしたいという気持ちは忘れてはいないつもりなので、この頁を編集しました。
展示館を紹介すると云いながら、展示物の画像はあっても展示室の画像が無いではないかとと云うことで、展示室と風除室の画像を加え、この頁を更新しました。
23.09.12.更新  22.04.25.裕・記編集

22.04.20.撮影

22.04.20.撮影

22.04.20.撮影

22.04.20.撮影

22.04.20.撮影
(パンフレット)
積層の記憶
(展示パネル)
被爆前旧中島地区
(展示パネル)
天神町筋街並み
(展示パネル)
原子爆弾による被害
(保存のため)
モニタリング機器の設置

22.04.20.撮影
中区中島町1 平和記念公園内 〔被爆遺構展示館南側出入口〕

入館時頂いたパンフレットの一部スキャン
展示の被爆遺構は、3.2m×3.2m=10.24u です。
発掘調査(60cm〜90cm)で被爆遺構が出てきた事についての図解(パンフレットの一部スキャン)
展示されている“被爆遺構がなぜ深さ60p〜90pの発掘調査で出てきたか”がわからないことには、この被爆遺構の意味することがわからないのではと(わたしは)思ったので、パンフレットの図解を掲載しました。

  -三番目の図:吹き出し内の解説文-
@ 平坦化の邪魔になる地上に残る基礎などは壊す。
A 元々空いていた穴や新たに掘った穴に瓦礫を投入する。
B 窪みや瓦礫層の厚い場所など平坦化の力の影響を受けにくい場所は被爆時の状態で残る。

22.04.20.撮影
住居跡: ・間口(石材列)
・土間
・焼土層(焼落ちた土壁・天井)
・燐家との境界(石材列)
*炭化材
〔炭化畳、炭化板材はレプリカ
天神町筋: ・アスファルト
・側溝

20.08.06.撮影
2020年8月現地見学会の時撮影しました

22.04.20.撮影
南側から遺構をみました

22.04.20.撮影
北側から遺構をみました

22.04.20.展示パネルを撮影
掘削調査した範囲写真(その一部が展示されています)

22.08.24.撮影
展示スペース

22.08.24.撮影
展示スペース

22.08.24.撮影
風除室

22.04.20.撮影
北側出入口をみました〔入館しようとする人で建物の大きさがある程度わかるかなと思ったので撮影〕



平和記念公園」編



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