広島県地方木材統制株式会社慰靈碑

  大東亜戦争の長期化と深刻化にともない広島県産業奨励館としての展示は縮小されていきました。
1944(昭和19)年3月31日にはついに館業務が廃止され、内務省中国四国土木出張所や(ここで取り上げた)広島県地方木材株式会社など官公庁や統制組合の事務所に使用されることになりました。
広島県地方木材株式会社は、1944(昭和19)年7月広島県内の地域木材統制会社を一本化発足し(当時)本社を広島県産業奨励館に置き、職員260人が働いていたと碑文にあります。
1945(昭和20)年8月5日夜、空襲警報が発令されたため、1時間遅れで午前9時出勤と決められていましたが、8月6日郊外から出勤する職員たちはいつもどおり8時前に職場に着いていましたので、8時15分米軍による原爆の投下によって、建物内にいた人たちは全員即死しました。
広島県地方木材統制株式会社は、被爆1週間後に、キリンビアホール※に仮事務所を置き、秋頃まで業務を続けたそうです。
被害が比較的軽微だったキリンビアホールの建物は、1991(平成3)年12月解体、1994(平成6)年4月パルコ広島店としてオープンしています。








































































































































































































































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1967(昭和42)年8月6日建立  
建立者:広島県地方木材株式会社旧役職員一同
碑文の筆者:曽根慶千
役職員百余名が、当時の建物(現:原爆ドーム)内外において殉職されたそうです。
木材統制機関の日本木材株式会社広島支店及び広島船舶木材株式会社の殉職者が合祀されています。
2001年撮影してこの頁を編集しました。
2014年原爆ドームとこの広島県木材統制(株)慰霊碑が写るように撮影し、2015年碑の斜め後ろから撮影しましたので、この頁を再編集しました。
15.01.23.再編集   01.10.30裕・記編集

01.10.25.撮影
広島市中区大手町1丁目   平和記念公園(原爆ドームの北東側に建立)

01.10.25.撮影
(慰霊碑裏面)

03.01.06.撮影
原爆ドーム現状維持工事(2003年)の仮囲いが慰霊碑の後ろに設置されていました

14.07.17.撮影

15.01.22.撮影
この碑の真後ろは立入禁止区域ですので、斜め後ろから撮影しました



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