|
中区大手町の平和記念公園に建立されている動員学徒慰霊塔の圓鍔勝三作のレリーフの一枚・食糧増産作業図に旗印・菊水が刻まれて(描かれて)いるのです。その事取り上げたのがこの頁です。 |
はたじるし・
きくすい
旗印・菊水 |
楠木正成の功績により、後醍醐天皇から菊の紋を下賜(かし)され、そのまま使うのは恐れ多いとして半分を水に流したという説。
他に、菊花を浮かべた盃を賜り旗印にしたとう説もあるようです。
辞書を引けば菊水とは「中国河南省内郷県にある河川、谷間に咲く大菊から露がしたたり落ち、川の水を飲んだ者は長寿であった」とありますそれから来たという説もあるようです。 |
くすのきまさしげ
楠木正成
1294-1336 |
南北朝時代の武将。左衛門尉。河内国の土豪。
1331(元徳3)年後醍醐天皇に呼応して河内赤坂城に挙兵、建武政権樹立に貢献し、河内和泉の守護となった。1336(建武3)年足利尊氏を兵庫湊川に迎え討つが敗れ、弟・正季(まさすえ:?-1336)と刺しちがえて死んだ。 |
|
 |
|
* |
楠正成は、戦前・戦中は武士の鑑で、忠義の人と讃えられ数多くの日本軍が大楠公(だいなんこう)を崇め奉り、この楠木家の
家紋「菊水」や、菊水隊などの名を好んで使用し、天皇に忠義を尽くすという意味で多く用いられたようです。
このレリーフ・食糧増産作業の中にある、菊水の旗も農作業であろうとも天皇に忠義を尽くすということで掲げられていたのではないのかとわたしは思いました。 |
|
広島市のマンホール蓋に鋳造されている○に三引きマークは、旧藝州藩の旗印であった「三つ引」にヒントを得て、これに川の流れを表現するカーブをつけて、水都広島を象徴したものとの広島市の資料で知ったのです。
祇園地区交流ウォーク探検隊で安芸津彦神社で「三つ引」をみたときに浅野家の紋は○に違い鷹の羽で、毛利家は一文字に三つ星ですよねと云われたのです。
そういえばそうですねと・・・そしてこのレリーフの旗印も思い出し、20008年になって頁を編集することにしたのです。 |
08.10.24裕・記編集 |