げんばくくようとう
原爆供養塔

  中区中島町の平和記念公園に建立されている「原爆供養塔」です。
1945(昭和20)年8月6日(月)午前8時15分人類史上初、米軍投下の原子爆弾によって犠牲になった方々のうち、身内の見つからない遺骨や氏名の判明しない遺骨約7万柱がここに納められています。
爆心地に近いこの地(中島地区)では、多数の遺体が収容され、火葬が行なわれました。
1946(昭和21)年1月広島戦災供養会が創立され、同(昭和21)年5月仮供養塔、7月仮納骨堂・礼拝堂が市民の喜捨によって建立されました。
1955(昭和30)年7月被爆10周年を期して広島市が中心となって地下に納骨堂を有する現供養塔が建立され、各所に散在していた遺骨をここに納めました※。
毎年8月6日を中心に広島戦災供養会を始め広島県宗教連盟及び各宗派による慰霊行事が執り行われています。
1955(昭和30)年末頃までに氏名不詳の遺骨約7万柱、
                  遺族がわからず氏名の判明している遺骨2,434柱が納められました。
2014年末までに遺族がわからず氏名の判明している遺骨815柱がまだ納められています。
資料は説明版や広島市の公開資料などを参考にしました
桃山時代の御陵(ごりょう)を模した円形の土盛の頂点に石造の相輪の塔が据えられています
供養塔の形状は、直径16m。 高さ3.5m。
建立 1955(昭和30)年8月5日
建立者 広島戦災供養会(広島)
設計者 石本喜久治(1894-1963) 
2001年(わたしは)はじめてこの原爆供養塔を撮影し頁を編集しました。
2005年8月納骨時期や状況が一覧表になった新しい案内板が設置されましたので、別頁で編集しました。
2011年原爆供養塔を横から後ろ側から撮影しました。
2014年前からは「原爆供養塔折鶴奉納台」が入った、裏からは「真言宗徒の塔」が画像に入るように撮影しました。
15.01.09更新    11.02.21再編集    01.11.15裕・記編集

01.11.09.撮影
広島市中区中島町1  平和記念公園内

01.11.09.撮影

02.08.06.撮影

02.08.06.撮影
原爆供養塔・説明板
(2005年新しい説明板に増設されました)
宗教の違いを乗越えて慰霊行事が行われていますが、
一同に会してとはいかないようですね

03.01.05.撮影
雪の日もお参りの人たちが

03.08.06.撮影
原爆忌・祈りの人たちが

04.02.22.撮影
ウメと原爆供養塔
  建立されてから半世紀が経ち、納骨室の壁や天井が剥離してきたため、2005(平成17)年1月24日から2月いっぱいかけて、防水などの補修工事をすると1月14日のTVでみました。
補修工事前に納骨室に安置されている約七万人分の遺骨(1468個の骨つぼになどに納めてある)を別の場所に移し工事完成後3月はじめに再び戻す、と報道で知りました。
ご遺族およびご参拝の皆様へ
  原爆供養塔地下納骨堂の防水工事を実施しています。
工事期間は、平成17(2005)年1月24日から平成17年2月28日までの予定です。この期間中は大変ご迷惑をおかけしますが、皆様のご理解とご協力をお願いいたします。
平成17年1月19日  【工事に関するお問合せ先】広島市社会局保険年金管理係 電話082-504-2159
工事のお知らせが供養塔の前側と後側に掲示されていましたので撮影しました。
(☆工事は無事終わりいつもと変わらぬ祈りの場を取り戻していました。) 

05.01.22.撮影

11.02.05.撮影

11.02.05.撮影
裏側で頭を垂れたあと撮影しました

14.09.11.撮影
2005(平成17)年「原爆供養塔折鶴奉納台」が供養塔の左側(西側)に設置された画像がありませんでしたので撮影

14.09.11.撮影
原爆遭難横死者慰霊供養塔(真言宗徒の塔) と 原爆供養塔 と 原爆供養塔折鶴奉納台 を裏側からみました



平和記念公園」編



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原爆供養塔
原爆供養塔の略沿革
2005年新しくなった案内板
(原爆供養塔納骨名簿)-遺族を捜しています-


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