(原爆供養塔納骨名簿)-遺族を捜しています-:掲示

  中区中島町の平和記念公園に建立されている原爆供養塔にはお名前がわかっている遺骨も安置されています。
その方々の遺族を探すための名簿が原爆忌(8月6日)を前後して全国の役所などの公共施設に掲示だれるのです。
※現在では広島市のweb siteでも通年公開されています(が)。
*遺骨が安置されている原爆供養塔前にもこの名簿が掲示されていることを2019年になって知ったわたしは何と無神経で不甲斐ない事かと涙しながらこの頁を更新しました。
『昭和30(1955)年7月に、現在の原爆供養塔が完成したのをきっかけに、各所に散らばっている遺骨の収集が進められ、昭和30年末頃までに氏名不詳の遺骨約7万柱、遺族がわからず氏名の判明している遺骨2,432柱が納められました。
現在(2006年7月時点)、氏名が判明しながら遺族のわからない遺骨は、826柱(2017年では810柱)が納められています。ご遺族やお名前等に心当たりのある方は、お知らせください。
広島市は全国の都道府県や市など1,140ヶ所に送り、7月14日から10月31日まで掲示してもらう』
そうです。(2006年の報道)
被爆後62年をむかえようとする2007年まだ825名(2017年では810名)の方々のご遺族がわからないのです。
毎年少数であるようですが遺族の方がわかっていると聞きます。無念のうちに亡くなったであろう方々のことを思うと決してやめることは出来ないことであると思いここに取り上げました。
(被爆者も高齢化してきており)なかなか遺族が見つからないようになってきているようですが、お一人でもその方に縁ある方が見つかることを願ってやみませんので、久しぶりに新聞報道を参照してこの頁を更新しました。
2019年7月中國新聞を見ていると
『814人の名簿
2017年11月以降、遺骨が引き取られたケースはない。
広島市原爆被害対策部調査課は「一人でも多くの遺族に遺骨を届けるため、どんな情報でも寄せてほしい」と呼び掛けている。同課082(504)2191。』という内容の記事でした。
2017年7月14日TVローカルニュースをみていたら取り上げていました。7月15日中國新聞の記事を参照し追記しました。
『納骨名簿全国で掲示  原爆供養塔 遺族の連絡待つ
原爆死没者慰霊碑に納められている約7万人の遺骨のうち、名前が分かっていながら引き取り手が見つかっていない815人の名簿が7月14日(金)全国各地で貼りだされました。広島市(192箇所)のほか各自治体(1976箇所)などにも依頼、10月末まで。
広島市は、
1968(昭和43)年納骨名簿を公開しました。
1985(昭和60)年に全国発送をはじめました。
2010(平成22)年4月の1人を最後に遺族などからの連絡は途絶えています。』
というような内容でした。 


2014年6月“原爆供養塔の遺骨、別人と判明 広島市が名簿から削除”を報道で知りました。
『「原爆供養塔」に納骨されている引き取り手のない遺骨のうち、名前が判明している816人の納骨名簿に、被爆者ではない人の名前が記されていたことが6月25日、分かった。広島市は納骨名簿から名前を削除した。
誤って記載されていたのは、2010(平成22)年に87歳で亡くなった宮崎県の女性。広島市によると女性の名前は納骨名簿が最初に公開された1968年(昭和43)年当初から記されていた。
女性のものとされていた遺骨は、広島市が1946(昭和21)年から広島市戦災供養会などとともに始めた原爆死没者の遺骨収集事業で集めたものの中にあり、女性の名前とともに「日赤和歌山支部」と書かれた封筒に入れられていたという。遺骨が納められた詳しい時期、経緯については記録が残っていない。
2014年5月日赤和歌山県支部から遺骨は別人と申し出があった。同支部によると、女性は戦時中当時の日赤和歌山支部の救護班員として東南アジアの戦地に赴任しており、広島が被爆した1945(昭和20)年8月6日は国内にいなかった。救護班の報告や同僚の証言などでも、女性が被爆していないことは間違いないという。』報道でした。
原爆被災後の混乱した状態での誤記を責めることは(戦後生まれのわたしには絶対にできません)それに気付かれ訂正されるに至ったことは後世に残されなくてはと思っています。
2009年7月11日新聞(朝日新聞)をみていたら『原爆供養塔に納められている約7万人の遺骨のうち、氏名が判明しながら遺族と連絡が取れていない820人の名簿を全国の都道府県た市町村など計2019箇所に発送した。一人でも多くの遺族を見つけたいと、今(2009)年から首都圏や関西などの被爆者団体15団体も送付先を加えた。・・・昨年夏以降では長崎県出身の杉内政夫さんの遺族と連絡が取れ、近く遺骨が引き渡される』と加戸記者署名記事が掲載されていました。
当地中國新聞にも同様の記事がありましたが、遺族発見などに一昨年からおかしいところがありましたので今年は朝日新聞の記事を参照しました。
2008年7月9日、ラジオを聞いていたら7月8日広島市は『原爆死没者の遺骨遺骨のうちお名前が分っているものの引き取り手が見つからない823体分の納骨名簿を全国の自治体など計2012ヵ所へ発送した。7月15日から掲示してもらい遺族からの連絡を待つ』と・・・広島市は1968(昭和43)年から2432柱の名簿公開をはじめ、これまでに1611柱の遺族(昨年からは今年6月の1柱が)判明していますと。
2007年7月6日、TVをみていたら「納骨名簿824人全国へ発送」というニュースをみました。
2006年は2名の方が身元がわかったこと・・・1968(昭和43)年から「原爆供養塔納骨名簿」の公開をはじめたこと、
1985(昭和60)年から(今2007年は824名の)氏名が掲載されている名簿の全国発送をはじめたことを、
現在(2007年7月)までに1610名の身元が判明している☆(824+1610=2434名で昨年の名簿でみた2432柱と数字が違うが)全国2028自治体(今年から町村へも)、区役所・JR広島駅など市内145施設に発送したことを知りました。
広島市社会局原爆被害対策部調査係の資料を(2007年2月時点)参考にしました。
このニュースを聞くとき、原爆で無念のうちに亡くなった方々の縁つながりの方が一人でもわからないかとの思いがつのり目頭が熱くなるのですが、恥ずかしい事に(わたしは)2006年から報道の内容をきちんとみるようになりましたが、2006年が826名の方々だったのが今(2009)年は820名となっていました。(昨年823名掲載、1遺族が判明では822名となると思うのです)
単純に引き算をすると6名の遺族が判ったことになるはずなのですが、どうも(報道だけの情報ですが)計算が合わないのです。原爆による多数の方々の犠牲で混乱した状態であったとは想像できますが、亡くなった方々が簡単に扱われているようで、あえてここに記述しました。
広島市は「原爆供養塔納骨名簿」を広島市役所のWeb siteで(2017年も)公開しています。
“原爆供養塔が出来るまで”と“平成26年の原爆供養塔納骨(815名)名簿の公開”の頁がありますので必要な方はみて下さい。
2019年になりましたが原爆供養塔前にもこの「原爆供養塔納骨名簿」が掲示されていることを(わたしは)知ったので撮影し、この頁を更新しました。
20..02.17.更新   07.02.21裕・記編集

06.08.05撮影
広島市中央図書館に貼り出されていたものを撮影しました。

06.08.05撮影




























































簿


























































連絡先・局名が今(2009)年は、広島市健康福祉局原爆被害対策部調査課 TEL082-504‐2191です。

19.06.25.撮影
原爆供養塔前折鶴奉納ボックス側面に掲示がありました

19.06.25.撮影

19.06.25.撮影
引き取り手がない(名前がわかっている)遺骨814人の名簿です



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