燃料会館・原爆被災説明板

  中区中島町の平和記念公園のレストハウス東側に設置されている「燃料会館・原爆被災説明板」です。
※2018年2月から休館して、外観を1929年の建設当時に近い姿へ復元、2020年7月1日再オープンしました。
燃料会館・原爆被災説明板
爆心地から約170m
この建物は、1929(昭和4)年、大正屋呉服店として完成しました。
戦争が激しくなり、経済統制も進められ、1944(昭和19)年6月県燃料配給統制組合に買収されました。
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、すぐ近くの爆心地約580m上空でさく裂した原子爆弾により、コンクリートの屋根は大破、内部も破壊炎上し、地下室にいて奇跡的に生き残った1人をのぞいて全員が犠牲となりました。
戦後直ちに改修し、燃料会館として利用され、1957(昭和32)年には広島市東部復興事務所がおかれ、都市の復興の拠点として貢献しました。
開店当時の大正屋呉服店(清水建設写真提供)
1944(昭和19)年6月(広島)県燃料配給統制組合に買収されました。
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、米軍投下の原子爆弾により、コンクリートの屋根は大破、内部も破壊炎上しましたが、地下室にいて奇跡的に生き残った1人をのぞいて全員が犠牲となりました。
戦後直ちに改修し、燃料会館として利用され、1957(昭和32)年には広島市東部復興事務所がおかれ、都市の復興の拠点として貢献しました。
1982(昭和57)年からは広島市平和記念公園レストハウス(無料休憩所と観光案内所)として利用されています。
(平和記念公園内建立の原爆被災説明板)
猿楽町通り周辺
広島県産業奨励館
中島地区
燃料会館
2001年レストハウスを撮影した時、この燃料会館・原爆被災説明板も撮影していましたが、頁としては2004年になり編集しました。
2004年頁を編集してから10年ほどたち頁を見直すと、原爆被災説明板の設置状況がよくわからないなどがありましたので2014年撮影し、頁を再編集しました。
2019年平和記念資料館で展示の被爆した燃料会館のパネルを撮影していました。
また、2020年6月大正呉服店として開店した当時の外観近くに復元されたレストハウスを撮影していましたので、この頁を更新しました。
   20.10.10.更新   14.07.25.再編集   04.05.25裕・編集

01.12.07.撮影
  広島市中区中島町1  レストハウス東面(爆心側)に原爆被災説明板が設置されています

04.05.12.撮影
原爆被災説明板は(現在の)広島市レストハウス東側に設置されています

’01.11.21. 撮影
現:レストハウスの説明板
(旧:燃料会館原爆被災説明板)
被爆直後の燃料会館
       松本栄一氏撮影

19.08.22平和記念資料館展示パネル.撮影
被爆後1945(昭和20)年11月 H.j.ピーターソンさん撮影
燃料会館は爆心地近くに残った数少ない建物でした。左側は燕麦ドーム。
翌(昭和21)年の早い時期から修繕がはじまり、燃料会館として再び使われました。

01.11.21.撮影
 レストハウス正面玄関

14.07.17.撮影
燃料会館・原爆被災板を元安川越にみました

14.07.17.撮影
原爆被災板を北東側(元安橋西詰付近))からみました

14.07.17.撮影

14.07.17.撮影
原爆被災板を裏側(レストハウス側)からみました

20.06.22.撮影
外観を建設当初の「大正屋呉服店」に近づけた改修が行われました
大正屋呉服店
合資会社丸佐呉服店が、改元を機に改称。
1912(大正元)年8月合名会社大正屋呉服店よして発足。
1929(昭和4)年細工町(現・大手町1丁目)にあった大正屋呉服店が中島本町(現・中島町)に新築移転した時の絵葉書。

20.08.22平和記念資料館展示パネル.撮影
絵葉書「新築落成の大正屋〔昭和4(1929)年〕」    改称当時の旧店舗〔大正元(1912)年〕
大正屋呉服店1階店舗部分
    1階階段まわりの豪華な石張りは、広島の岩崎大理石が施工

20.08.22平和記念資料館展示パネル.撮影
大正屋呉服店新築工事概要
位置:廣島市中島本町五十三番地
敷地面積:壹百坪五合七勺
坪敷:合計二百九拾八坪四合七勺   地下室:四拾參坪六合五勺
                         一階:八拾四坪七合五勺
                         二階:八拾四坪七合五勺
                         三階:八拾坪壹合九勺
                         塔家:五坪壹合五勺
構造:鐡筋「コンクリート造」三階建一部地下室屋階付キ
高サ:新地盤線ヨリ「パラペット」上端迄 四十二尺。 屋階上端迄 四十八尺。  正面「パラペット」迄 四十六尺五寸
工事着手:昭和三(1928)年五月十日  竣工:昭和四(1929)年三月十日
作業日數:三百日  工事場作業人員:七千八百人

20.08.22平和記念資料館展示パネル.撮影
設計者:増田清 工事竣功報告書

20.08.22平和記念資料館展示パネル.撮影

20.08.22平和記念資料館展示パネル.撮影

12.08.01.説明板撮影
平和記念公園(周辺)に設置の各種説明板
1 名勝・平和記念公園(説明板)
2 平和記念公園(原爆で失われた街中島地区)
3 爆心地・原爆被災説明板
4 猿楽町通り周辺・原爆被災説明板
5 広島県産業奨励館・原爆被災説明板
6 元安橋・原爆被災説明板
7 燃料会館・原爆被災説明板
8 中島地区・原爆被災説明板
17 本川国民学校・原爆被災説明板
9 元柳町・説明板
10 材木町・説明板
11 天神町・説明板
12 中島本町・説明板
13 原爆ドーム・説明板
14 原爆供養塔説明板(旧町界と町名・図)
15 中島本町被爆復元地図:板
16 中島勧商場跡説明碑
 



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「平和記念公園」編



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野村英三さん「爆心に生き残る」の原稿


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