(旧天神町)天満神社

  (戦前までの天神町に鎮座していた)天満神社は、毛利輝元(1553-1625)の広島築城のおり、(高田郡)吉田※の天神山からこの地に移したのがはじまりです。
明暦年間(1655−1658)は 鶴翁山吉祥寺と称していました。
其の後天和(1681−1684)貞享(1684−1688)年間のころより 満松院と改められました。
1869(明治2)年8月神仏混淆を禁ぜられ寺院を分離し、1872(明治5)年11月空鞘神社摂社と定められました。
2004(平成16)年3月1日高田郡高田町は、他の高田郡の街まちと合併し安芸高田市になりました。
設置の説明版によると、1945(昭和20)年8月6日被爆、標柱、狛犬などの石像物以外は灰燼に帰しました。
(御神体は疎開していて無事でした)。

爆心地より≒300m
2002年平和記念公園に建立の材木町跡碑を撮影していた時「子どもの頃この辺りで(わたしは)育ったのですよ」と云われ、「天神町の天神さんを(あなたは)ご存知か?な」と見知らぬ老人に声をかけられたのです。
わたしは知りませんでしたので撮影を止めてその方のお話を伺ったのです。その天神さんはいまは土谷病院の裏に小さな祠(が復興され)でその名残を知ることができるのですよと教えていただき、撮影に行き、この頁を編集しました。
08.03.19再編集    02.02.10 裕・記編集

02.02.03.撮影
広島市中区中島町6−1

02.02.03.撮影
縁起板にある被爆前:昭和6(1931)年4月の天満神社画像を使用しています

(編集中)



















































寿












退
























































































































寿

































































































退










































































































































殿


























殿






























































































































































































05.03.19.撮影

04.01.31. 撮影
坂本文子記念碑 と (現在の)本殿



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