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中区中島町の天満神社境内に建立(奉納)されている「坂本文子記念碑」です。 |
正面: |
奉納 平和のこと よろしく 坂本文子 |
裏面: |
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坂本文子(1908-1988)さんは、
天神町の酒屋の長女。広島市立第一高等女学校卒業。
1945(昭和20)年8月6日舟入本町で被爆。長男(17歳)と長女(13歳)を喪った。 1953(昭和28)年千田保育園設立初代園長。
「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」(代表・江口保氏)の依頼を受け1976(昭和51)年より被爆体験の語り部として活動を続けられましたが、1987(昭和62)年より病魔に侵され、1988(昭和63)年癌性腹膜炎で亡くなりました(80歳)。
坂本さんが生徒たちに託した思い「平和のことよろしく」が碑文となり、地球と平和を表す半円球の石碑となっており、1994(平成6)年12月13日に除幕されたそうです。 |
以前ここ天満神社を訪ねた時にこの碑(いしぶみ)があることを知ったのですが由来がわからなかったのです。2005年7月交流ウォーク時この碑を撮影してかすかな碑文がわかり、資料でその由来がわかりました。 |
2011年訪ね参拝した時、この碑をみると湿った碑だったからか刻まれた文字が読めましたので撮影したのです。
2015年も撮影しましたので、この頁を再編集しました。
コロナ禍はまだ終息していない2022年7月久しぶりに天満神社を参拝しました。その時根際のこの記念碑をみると以前より「平和のことよろしく 坂本文子」がよく見えるなと思ったのです。裏面は段々と不鮮明になってきているようでしたが。 |
23.08.06.更新 15.02.26.再編集 05.10.08裕・記編集 |