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中区中島町の平和記念公園内の建設されている「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」です。
※2002(平成14)年8月1日に国立の施設としては初めて広島平和記念公園内に建設されました。
※設計は丹下健三(1913-2005)です。 |
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原子爆弾死没者を心から追悼するとともに、その惨禍を
語り継ぎ、広く内外へ伝え、歴史に学んで、核兵器のない
平和な世界を築くことを誓います。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 |
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入口にあるこの施設案内文には、
『国立広島原爆死没者追悼平和祈念館には、原爆死没者を静かに追悼し、平和について考える「平和祈念・死没者追悼空間」、原爆で亡くなった一人一人の存在を実感できる「遺影コーナー」、被爆体験記を読んだり被爆者証言ビデオなどを見ることにより、被爆の実相について学ぶとともに被爆者の思いに触れる「情報展示コーナー」や「体験記閲覧室」があります。入場は無料です。』とあります。 |
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原爆死没者慰霊碑の時にあった“過ちは繰返しませぬから”の碑文の論争がこの祈念館建設理念説明時にも繰り返されていました。 |
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関連頁:(裕編集の)原爆死没者慰霊碑碑文主語の論争 |
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個人的には平和記念公園内に建築物はもう要らないと思うのです。47億円もかけた建物が平和を語り継ぐのではなく、個人個人が平和の心を築くことこそが必要なのではと(わたしは)思うからなのです。
この国立祈念館が開館した2002年は、原爆ドーム、原爆死没者慰霊碑などへのいたずらが多発しています。それはやはり平和に対する心を築いていないからだと思うからなのですが。 |
2014年みたとき8時15分モニュメント周り屋根部分で工事が行われていました(建築屋の端くれだったわたしは雨漏りの補修工事なのかなと思いました)今(2019年)回掲載しました。
2019年久しぶりに撮影しました。
過去に掲載していなかった画像、今回撮影画像も加え、この頁を更新しました。 |
19.08.24.更新 02.04.25裕・記編集 |
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Hiroshima National Peace Memorial Hall for the Atomic Bomb Victims |
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広島市中区中島町1-6 平和記念公園内 |
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02.03.30.撮影 |
手前:原爆死没者慰霊碑 向側:工事仮囲いがまだある通称・国立祈念館 |
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02.04.19.撮影 |
-開館前- 地上部分には建物が出ないような設計になっています (右側が入口への階段) |
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02.04.19. 撮影 |
地上から地下1階の正面入口へ屋外階段を使って降りていきます |
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02.08.28.撮影 |
左側:(お袋のように足が悪い人には)エレベーターが設置されています 右側:スロープも設置されています |
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19.08.22.撮影 |
正面入口をみました (手前:スロープも設置されています) |
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19.08.22.撮影 |
エレベーター と 屋外階段 |
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19.08.22.撮影 |
外壁に「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」の館名文字が設置されています。(2002年にはなかったのですが) |
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03.09.05.撮影 |
地下1階の出口から地上部をみました |
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19.08.22.撮影 |
今(2019年)回この北側にも“入口の案内標識”が設置されていましたのでこちらから入りました |
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02.04.19.撮影 |
「8時15分」を表すモニュメントをみました |
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03.06.17撮影 |
「8時15分」を表すモニュメント (周りには工事中出てきた被爆した瓦などが置かれています) |
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05.02.02.撮影 |
(8時15分モニュメントの回りに雪が積もっていました) |
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14.12.18.撮影 |
8時15分モニュメント周りに仮囲いが設置されていました (雨漏り補修工事かな?) |
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18.04.12.撮影 |
(工事中に出土した被爆瓦などをみました) |
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19.08.22.撮影 |
(2014年には無かった説明板が設置されていました) |
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19.08.22.撮影 |
「8時15分」を表すモニュメント 周りには工事中出てきた被爆した瓦などが置かれています |
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19.08.22.撮影 |
「8時15分」モニュメント(がトップライトになっている)平和祈念・(原爆)死没者追悼空間の天井を見ました |
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