へいわ の とけいとう
平和の時計塔

  中区中島町の平和記念公園に建立されている「平和の時計塔」です。
この「平和の時計塔」は、残したい“日本の音風景100選”の鐘(環境庁選定)のひとつです。
平和記念公園を訪れた人が思い思いに打ち鳴らす鐘(鐘楼)と、通称・平和記念式典で打ち鳴らす鐘と、毎朝原爆投下時刻である8時15分に鳴るこの平和の時計塔とともに残したい「日本の音風景100選」の一つとして1996(平成8)年6月5日に選定されたものです。
この平和の時計塔は、高さ≒20m。三本の鉄柱がそれぞれ60度ずつひとひねりした鉄骨の塔上に、球体の三方を向いた時計が乗っています。
米軍による原爆投下の時刻、8時15分に、毎朝世界に向け、平和の願いが届くようにとチャイムが鳴らされています。
建  立: 昭和42(1967)年10月28日
建立者: 広島鯉城ライオンズクラブ
設計者: 大旗 正二
核原子力の出現により、人類はいま生か死か、破滅か、繁栄かの岐路に立っている。ひろい世界を同じ心で一つに結ぶ、全世界のライオンズ会員が平和実現のために果たす役割は大きい。原爆ドームの永久保存に呼応し、人類が初の原爆の洗礼を受けた時刻、8時15分に、毎日全世界に向けてこの時計塔のチャイムが「ノーモアーヒロシマ」を強く訴え、人類の恒久平和実現の一日も早からんことを祈り、この時計塔を建設し、市に贈るものである。
昭和42(1967)年10月28日 チャーター伝達10周年を記念し 広島鯉城ライオンズクラブ
2000年撮影してこの頁を編集しました。
1966年当時、平和記念公園の設計者の(一人で代表であった)丹下健三東大教授は、「平和記念公園は聖地であり色々なものを建設する事は好ましくない」と地元設計者へ横槍を入れたと聞きます。
確かに平和記念公園にはたくさんの構築物は要らないとわたしも思いますが、次ぎから次ぎへと構築物を造っていった結果が現状なのではとわたしは思いますそれらの多くが丹下健三設計で行われています。
※2005年3月22日丹下氏が亡くなりました、ご冥福をお祈りいたします。 05.03.25追記
2014年、2015年久しぶりに撮影して、この頁を再編集しました。
2016年‘おりつるタワー’がオープンし、東側の上方からこの「平和の時計塔」を撮影しましたので、この頁を更新しました。
16.10.28.更新  15.02.22.再編集  00.08.10.裕・記編集

00.08.05撮影
広島市中区中島町1  平和記念公園   (原爆ドームと「平和の時計塔」を≒西側からみました)

02.07.09.撮影

02.07.09.撮影
相生橋から慈仙寺の鼻と呼ばれた付近に建立の「平和の時計塔」を(≒北側から)みました

03.01.06撮影
本川越しに雪の中の「平和の時計塔」を(≒西側から)みました

14.09.11.撮影

14.09.11.撮影

14.09.11.撮影

15.01.22.撮影

15.04.30撮影

15.07.12.撮影
大手町(原爆ドームがある)側から元安川越にみました

16.09.24.撮影
原爆ドーム・ドーム部分と「平和の時計塔」を東側よりみました

16.09.24.撮影
おりづるタワー展望台からみました

16.09.24.撮影

16.09.24.撮影



平和記念公園」編



広島ぶらり散歩へ
(平和記念公園内の)平和の鐘
(東館展示の)平和の鐘
平和の時計塔
広島銅合金鋳造会建立・平和の鐘
広島女学院・平和の鐘
(妙光寺・香取作の)平和の鐘


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