(慈仙寺跡)被爆した墓石

                      (設置説明板文) 
  この遺跡は、慈仙寺内にあった広島藩浅野家の御年寄岡本宮内(おかもとくない)の(五輪塔の)墓であり、原爆により、墓の笠に当たる相輪が飛び崩れたものです。
                      (英文の説明によると上記以外に)
Standing here,in what was once the compound of Jisenji Temple,since the time of Okamoto's death in 1689.
   広島藩浅野家御年寄・岡本宮内の墓石で、1689(元禄2)年建立のようです。
              ※年寄(り)≒武家で、政務にあずかる重臣。(江戸幕府の老中)大名の家老など。
爆心地より≒270m     旧町名:中島本町
(清光山)慈仙寺は、浄土宗西山派のお寺です。
お寺の全ての建物は壊滅し、御住職ほか2名は即死、奥様は浴室で洗濯中で重傷をおわれ翌(8月7日)日死亡、結局全員死亡されたそうです。
(現在:お寺は広島市中区江波二本松1‐4 に移転再建されています。)
現在は(画像からもお分りになるかもしれませんが)、この「被爆した墓石」は窪地に建立されたようにみえますが、被爆前のここ中島地区の地面の高さだったそうです。(現在のここ平和記念公園は、盛土で造成された事からそうみえるのです)
戦後、外地からの帰還や徴用や動員で他の地域に行っていた人々が帰郷し、ここにはたくさんのバラックが建てられ、それが平和記念公園建設の為に強制的に立ち退きさせられることになったそうです。
この地区は、爆心地からも近く、多くの遺骨が残っているにもかかわらず盛土の整地作業をさせられた人たちの中から、原爆の爆風の威力が解かるこの墓石を残しておくべきではないかという話が広がり、広島市にその要望を伝えることで、いまの被爆した墓地が、平和記念公園内に残されることになったそうです。
2002年撮影しこの頁を編集しました。
2003年説明板の英文をみるとこのお墓の建立年代がわかりましたので追記しました。
2014年この頁を編集してから10年ほど経ちましたので、この墓石周りがわかる画像を加え頁を見直しました。
14.07.22.更新  02.03.20裕・編集

02.03.06.撮影
広島市中区中島町1 (慈仙寺跡は、現在は平和記念公園になっています)

04.07.01.撮影

04.07.01.撮影

04.07.01.撮影
ごりんとう
五輪塔
密教で説く五大を表す五つの形から成る塔。
地輪(方形)・水輪(円形)・火輪(三角形or笠形)・風輪(半月形)・空輪(宝珠形)の順に積み上げる。各面に五大の種子を刻む。平安中期以後、供養塔として用い、鎌倉以後、墓標として広く用いられた。五輪。五輪卒塔婆。法界塔(ほつかいとう)。
五輪塔の参考例:蓮華寺の五輪塔原田勉顕彰碑横の五輪塔

14.06.12.撮影
(説明板の反対側)≒西北からみました

14.07.17.撮影
花弁を彫った台座の下に石が挟まっています
(「原爆で五輪塔が傾いたその時飛んできた石が挟まった」と聞いた事がありますが、わたしには真偽はわかりません)



平和記念公園」編


被爆した建物・構築物」編



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(現在の)(清光山)慈仙寺
(慈仙寺跡の)被爆した墓石
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