平和の石燈

  中区中島町の平和記念公園に建立されている「平和石燈(平和の石燈)」です。
*碑文をみて(わたしは)「平和石燈」と題して2007年頁を更新するときにしました。
※しかし、平和記念資料館の公開資料をみると「平和の石燈」として紹介していました。
被爆三十三回忌にあたりここに記す平和石燈の詞(昭和五十二年=1977)
人生は起きて半畳、寝て一畳と申し畳の上で産声をあげてより畳の上で暮らし畳の上で入寂することが無上の仕合せとしております。
原爆犠牲者の御霊の安らかに冥福を祈り、台石を特に畳の形とし常住畳の上で閑思清和の四季、旦座喫茶合掌して永遠に献茶奉仕を捧げます。台石の高さは一年十二ヵ月をもって一尺二寸とし、炉には二寸の縁をとり燈籠の高さは炉壇の寸法一尺五寸、台石との開きは八月六日をニ分して四尺と三尺としました。
畳の上では主客平等で差別なく浄水池は日の丸を型どり、百八の煩悩によせて直径一尺八分とし、深さは三寸、昼は万物根源の太陽の徳を、夜は水の恩を賛えて、池中に映る月影を下化衆生の相、見仏聞法への心からなる手向けとしました。
昭和三十(1955)年八月六日 建設     発願建設者 淡交会廣島支部長 石井淡笑斉 宗寿
(げけしゅじょう)
下化衆生:
〔仏語〕菩薩が、衆生を教化済度(≒人々を教え導いて迷いから救う)すること。
(けんぶつもんぼう)
見仏聞法:
〔仏語〕目のあたりに仏の姿を見、耳に仏の教えを聞くこと。
最近は後ろに回ってみようとされていますねと交流ウォークでご一緒する増田先生に云われたのです。そうなのですいままでは記念碑などをみても正面からみて満足していた?のかもしれません。
2003年撮影して頁を編集しましたが、この平和の石燈も考えれば、正面の碑文を読んで知ったように思っていたのかもしれません。
しかし、
石燈上の円形部分を上から見たこともなかったな〜と思って覗き込むと、顔が刻み込まれていたのです。また、後ろから原爆供養塔がバックになる構図で2007年撮影しました。
2018年久しぶりに撮影しようと思って行ってみたら修学旅行の小学生が沢山いました。
この平和石燈のガイドをみながら見学しているグループがいたので、円の中をみると枯葉で中が見えなくなっていましたので、枯葉、堆積砂を掻き出しました。そして、子どもたちに『この円の中に顔が彫られていることを知っている?』と問いかけました。掻き出した砂などで濁っていましたので水が澄むまではわからなかったでしょうが、のぞき込む子がいましたので、ガイド本には書いていなかったのでしょう。
『この円の中には、仏さま(菩薩さま)のお顔が彫られているよ』と云うべきだったな〜と不親切な説明だったとわたしは反省しました。
18.06.22.更新     03.02.25 裕・記編集

03.02.20.撮影
広島市中区中島町 平和記念公園

03.02.20.撮影
閑思清和              (原爆供養塔前広場西側に建立されています)

03.02.20.撮影

07.01.24.撮影

03.08.06.撮影
2003年原爆忌8月6日、裏千家・淡交会による慰霊茶会が催されていました

07.01.24.撮影
建立1955(昭和30)年8月6日    建立者:裏千家淡交会広島支部

07.01.24.撮影
建立1955(昭和30)年8月6日    建立者:裏千家淡交会広島支部

18.06.21.撮影
(多くの修学旅行の小学生がいました)

18.06.21.撮影



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