ノーマン・カズンズ記念碑

  中区中島町の平和記念公園内に建立されている「ノーマン・カズンズ氏の記念碑」です。
ノーマン・カズンズ(Norman Cousins:1915-1990)
米国ニューヨークの文芸雑誌「土曜文学評論」の編集長として、1949(昭和24)年広島を訪れ、ルポ「4年後のヒロシマ」を発表。これを契機に、流川教会の谷本清牧師(1909-1986)らとともに原爆により家族を失った子どもに対する「精神養子運動」を行い、400名を超える子どもたちに米国から物心両面で支援しました。
さらに1955(昭和30)年谷本牧師や原田東岷医師(1912-1999)らが取り組んでいた原爆後遺症のケロイドの治療に関わり、25名の女性の渡米治療に尽力し、彼女たちに将来に対する希望と自信を与えました。1964(昭和39)年、広島市特別名誉市民の称号を受けました。
1942年から評論誌「サタデー・レビュー」編集長。
「サタデー・レビュー」編集長を引退した後は、カリフォルニア大学医学部大脳研究所教授。
1987(昭和62)年第1回谷本清平和賞受賞。
除幕式:2003(平成15)年8月2日。   
建立者:広島県医師会・広島日米協会などでつくる建設委員会建立。
碑の形状:高さ約120cm、約80cmの二つの自然石で構成されています。
制作者:吉田正浪(碑建立当時・比治山大学教授:1936-2011)です。
2003年8月6日(通称)平和記念式典のあと、この碑を拝見し撮影しましたので、この頁を編集しました。
広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編を編集しだして、このノーマン・カズンズレリーフの制作者はと思ったのです。2010年になりましたがレリーフに近づき見ると「m.yoshida」と読めましたので、今になりましたが、追記しました。
2014年になりましたが、碑裏の方から撮影しましたので画像を追加し頁を更新しました。
2020年コロナ禍の中閑散とした平和記念公園でしたので撮影していました。2021年も続くコロナ禍ですので、今になりましたがこの頁を更新しました。
21.06.16.更新    03.08.07裕・編集

03.08.06撮影
広島市中区中島町1 平和記念資料館・東館南側緑地帯

03.08.22撮影

03.08.06撮影
右側にマルセル・ジュノー博士記念碑があり、左側平和大橋欄干もみえます。

03.08.22撮影

05.02.02撮影
碑は自然石を使い、カズンズ氏の肖像(ブロンズ製の)レリーフ。

11.04.07.撮影
(根際のサクラが満開でした)

14.06.12.撮影
(マルセル・ジュノー博士記念碑と) ノーマン・カズンズ記念碑を裏側からみました

20.05.29..撮影
2020年コロナ禍の中閑散とした平和記念公園でした
ノーマンカズンズ記念碑 と マルセルジュノー博士記念碑

20.03.30.撮影
(正面:≒西側からみました)

20.03.30.撮影
(正面:≒西側からみました)

20.03.30.撮影
(外国人のおばあちゃんと孫?熱心に見学していました)

20.03.30.撮影
マルセルジュノー博士記念碑(裏側)  と  ノーマンカズンズ記念碑(裏側)

20.03.30.撮影
(裏面:≒東側からみました)

20.03.30.撮影
(裏面をみました)
(碑銘に関しても敬称は略しています)



平和記念公園」編



広島ぶらり散歩へ
「平和祈念碑等建立地一覧」編


inserted by FC2 system