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中区大手町の元安橋東詰北側に(現在)設置されている「広島市道路元標」です。 |
このあたりは陸上交通の主要街道が交差し、また太田川の水運の利もあって、広島城下の中心となっていました。当時この地に高札場があり、付近には馬継場や藩の公式の宿舎、御客屋などがありました。したがって、広島からの里程(みちのり)はすべてこの地点から起算されていました。
明治以後、県制施行にともない、ここに木柱で広島県里程元標が立てられていましたが、明治22(1889)年市制施行後は、現在の石柱で広島市道路元標と改められました。 |
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高札(こうさつ)=法令伝達の一形式で、法度(はっと)、掟、禁制を板面に墨書したもの。
道路元標(どうろ・げんぴょう)=路線の起点・終点または主な経過地を表示する標識。 |
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県制施行〔1871年=明治4年〕の際、木製の元標が建てられ、
1889(明治22)年広島の市制施行後石柱になったそうです。 |
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原爆被災までは現在の場所より約30m東よりにあった広島郵便局の前に建っていました。
この道路元標は、強い原爆の熱線をあびて焼け、角が欠落しています。 |
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被爆した広島市道路元標です。
爆心地から≒90m (被爆当時町名:細工町) |
2003年被爆した構築物という事で撮影しこの頁を編集しました。
道路の起点、終点の基準となる標識を道路元標といい1919(大正8)年道路法によって各市町村に置くことが決められ、道路に面し最近距離で路端に標石を設置することになっていたそうです。 |
久しく撮影していなかったので、2018年撮影し、元標説明板も読み(上記)この頁を更新しました。 |
18.06.07更新 03.10.15裕・編集 |