(平和記念公園建立)鈴木三重吉文学碑

  広島市中区大手町の平和記念公園(原爆ドーム西北側)に建立されている「鈴木三重吉文学碑(赤い鳥文学碑)」です。
※像・レリーフは圓鍔勝三作品です。
*1936(昭和11)年没の鈴木三重吉の文学碑が、戦後整備されたここ平和記念公園に建立されているのは、
  この地から東側に300mばかり行った処が三重吉の生誕地だったからと(わたしは)思っています。

台座には「鳥い赤」(赤い鳥)の彫り込みと
乗馬が好きだったということから“馬の頭部”が浮き彫りにされています。







































「千鳥」「桑の実」などの名作によって明治大正期の文壇に生彩を放った鈴木三重吉は明治15(1882)年この地・猿楽町に生まれました。
大正7(1918)年少年少女のための雑誌「赤い鳥」を創刊主宰し童話童謡つづり方自由画の開発と振興に後半生をささげわが国児童文学の父とよばれました。その文績を記念したのがこの碑です。

昭和39(1964)年6月27日〔鈴木三重吉の命日に当たる日に建碑〕
  寄贈(鈴木三重吉顕彰会)篠田実市、加計慎太郎
-碑根際に2016年建てられた説明板-
「千鳥」「桑の実」などの名作によって明治大正期の文壇に生彩を放った鈴木三重吉は明治15(1882)年この地(猿楽町)に生まれました。
大正7(1918)年少年少女のための雑誌「赤い鳥」を創刊し、日本最初の童話童謡が誕生しました、つづり方や自由詩を指導して児童の創造を高め、外国の名作童話も紹介し、わが国児童文学の父とよばれています。この碑は昭和39(1964)年6月、被爆地ヒロシマの文化の復興のシンボルとして建てられ、平和への願いが込められています。圓鍔勝三(1905-2003)の作品。碑には「私は永久に夢を持つ。たゞ年少時のごとく。ために悩むこと浅きのみ。三重吉」と刻まれています。
  広島西南ロータリークラブ 創立30周年記念事業 2016年寄贈 
鈴木三重吉 (すずき みえきち:1882-1936)
小説家、児童文学者。1882(明治15)年広島市猿楽町83番地の1(現・広島市中区大手町2-1-13)に生れ。本川小学校、広島一中、第三高等学校を経て東京帝國大學文科大学英文学科に在学中の1905(明治38)年病気療養のため能美島を訪れ、そこでの体験をもとに短編小説「千鳥」を書き上げた。「千鳥」は夏目漱石(1864-1916)から絶賛された。以後、山県郡加計町を舞台とした「山彦」などを発表し、漱石門下生として活躍を続けたが、1915(大正4)年にいったん筆を折ってしまう。
小説家としての行き詰まりを自覚した三重吉は、児童文学に自らの進むべき道を見いだし、1918(大正7)年には森鴎外(1862-1922)らの賛同を得て、児童雑誌「赤い鳥」を創刊。芸術的に価値のある童謡・童話を子どもたちに提供しようという画期的な運動をスタートさせた。
三重吉はもちろん、芥川龍之介(1892-1927)や有島武郎(1878-1923)、北原白秋(1885-1942)らが傑作を次々と発表。わが国の児童文学は新しい時代を迎えることになる。「赤い鳥」には児童の投稿欄も設けられ、特につづり方、児童詩の教育活動に大きな影響を与えた。
2004(平成16)年5月交流ウォークで鈴木三重吉(1882年9月29日-1936年6月27日)の生誕地(現:デオデオ⇒エディオン附近で)店舗外壁にレリーフが設置されていることをはじめて知ったわたしでした。
そこで、原爆ドームの西側(相生橋東詰南)に建立されているこの文学碑を撮影しました。
彫刻は圓鍔勝三作という事がサインからもわかりました。
2017(平成29)年になりましたが撮影しました。
というのは、2016年に説明板が設置されたと新聞報道を思い出したからです。
設置の説明文は、碑台座の裏面に刻まれている碑文と多少違っていましたので掲載しました。

設置された説明板には、『・・・被爆地ヒロシマの文化の復興のシンボルとして・・・』とありますがく、この鈴木三重吉文学碑も復興のシンボルの“ひとつ”として建立されたのでしょうが、同じような趣旨の文学碑は他にも多数あるからとわたしは碑文に少しばかりの疑問を感じています。
2023(令和5)年・2024年久しぶりに撮影しました。
2000年からはじまったコロナ禍も、2023年5月感染症法でいう2類相当からインフルエンザと同じ5類に引き下げられたことで、ここ平和記念公園にも観光客が戻ってきたからです。
24.09.07.更新   17.04.05.再編集  04.06.10裕・記編集
2004年撮影
2004年(わたしは)はじめて撮影しこの頁を編集しました。
この碑から電車通りに出て東へ300mほど行くと、三重吉生誕の地であった処で、現在家電のエディオンになっておりその外壁に“鈴木三重吉生誕の地碑”プレートが設置されています。

04.06.06.撮影
広島市中区大手町1 平和記念公園(原爆ドーム西側元安川根際)     

04.06.06.撮影

04.06.06.撮影
三重吉胸像 (本の形を抽象化した台座の上に坐る)少年と少女の像

04.06.06.撮影
 圓鍔(勝三)作  1964(昭和39年) 
2017年撮影
2017年この碑の南側根際に説明板が設置されているのに気が付き撮影しました。
2016年広島西南ロータリークラブが設置したものでしたが、説明文を読んでその内容から、説明文責任者の記述が必要とわたしは思いました。

17.02.16.撮影
(碑の根際に2016年説明板が設置されました)

17.02.16.撮影
(東側からみました。後側は元安川です)

17.02.16.撮影
碑の三重吉像 説明板に掲載の三重吉1926年

17.02.16.撮影
≒南側からみました。手前:相生橋趾碑 と 向側:鈴木三重吉文学碑
  関連頁:相生橋趾碑

17.02.16.撮影
碑を後側からみました(台座に碑文が刻まれています)
2023年・2024年撮影
2023年この碑後側の植樹が大きくなっていたので撮影しました。
2020年からはじまったコロナ禍でここ平和記念公園も閑散としていました。
2023年コロナ禍が終息したわけではなく、感染症法で5類に引き下げられたことで観光客も戻ってきていました。
元安川右岸からこの碑の後側も撮影しました。

23.07.20.撮影
碑を後側の樹木が大きくなり茂ってきています)

23.07.20.撮影
(≒東側からみました)

23.07.20.撮影
向側:相生橋址碑                  (鈴木三重吉文学碑を≒北側からみました)

24.08.25.撮影
後側をみました(台座に碑文板が嵌め込まれています)

24.08.25.撮影
(元安川越にみました)

24.08.25.撮影
(≒西南方向からみました)

24.08.25.撮影
(正面からみました)

24.08.25.撮影
相生橋址碑   (元安川越し向側:平和の時計塔)     鈴木三重吉文学碑



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