(平和記念公園)国旗掲揚台

  中区中島町の平和記念公園に造られている「国旗掲揚台」です。
※1954(昭和29)年4月1日に完成した平和記念公園に国旗掲揚台が設置されたのは、1963(昭和38)年だったのです。
〔∵「日の丸・君が代」は、戦前の“日本軍国主義の旗印”としていたとの歴史を忘れてはならなとの拒否反応があったからと(わたしは)聞いたことがあります。〕
※2023(令和5)年11月28日国旗掲揚の木製ポールが強風により折れました。(別頁で編集しました)
      國旗掲揚台
寄贈者: 広島市愛宕町  今田庫吉
世話人: 新日本協議會広島縣支部   広島縣日の丸會本部(高木尊之※会長)
施工者: 広島市二葉の里  今村正範
   昭和三十八(1963)年四月二十九日
広島新史をみていると平和記念公園のこの国旗掲揚台が昭和38(1963)年に寄贈されたとありました。
広島県日の丸会本部が如何なる団体かわたしにはわかりませが、世話人の高木尊之※氏は被爆者のようです。
平和記念資料館西館展示の品にモンペがあります。寄贈者は高木尊之氏とあります。
解説によると『
奥様の敏子さんが、1945(昭和20)年8月6日建物疎開作業現場(雑魚場町)で勤労奉仕作業中に被爆された、そのときのぼろぼろになったモンペです。翠町の自宅で夫の尊之氏に看取られ8月10日亡くなられた。』そうです。
昭和五十七(1982)年十月八日
木の日 記念事業
広島木材青年経営者協議会
 
 
日本木材青壮年団体連合会が、昭和52(1977)年に、木材の利用を盛んにしよう、木の大切さを分かってもらおうと、漢字『木』の字が十と八との組合せから、10月8日を「木の日」と決めたそうです。
日章旗(にっしょうき)
日本の国旗とされている日の丸の旗。白地に赤く日の丸を染め抜いたもの。日の丸の旗。
布地は白の長方形で縦横の比率は7対10。日章は赤で直径は縦幅の5分の3。
1870(明治3)年の太政官布告で制定。
1999(平成11)年8月施行の「国旗国歌法」で国旗と定められる。
2004年になりましたが、平和記念公園の国旗掲揚題を撮影しこの頁を編集しました。
2006年(国旗掲揚台の西北にあるブラシノキを見に行こうとしたときに)木製ポールにプレートが付いているのに気が付きました。みるとポールは昭和57(1982)年に寄贈されたものとわかりました。
コロナ禍の2020年、NHK広島放送センタービルからみると人影がない構図でしたので撮影していました。2021年3度目の緊急事態宣言が出されたいまになりましたがこの頁を更新しました。
21.08.28.更新   04.10.05裕・編集

04.10.01.撮影
広島市中区中島町1 平和記念公園(原爆死没者慰霊碑の北西側に設置されています)

04.10.01.撮影

04.10.01.撮影

06.07.15.撮影
(大きく育ったリューゼツランが通路を邪魔していますね)

06.08.06.撮影
2006(平成18)年8月6日平和式典中風もなく半旗は動かぬままでした

15.08.06.撮影
式典後献花する人たちで混雑の原爆死没者慰霊碑前(に2006年にはなかったスロープが造られています) と 半旗

20.09.15.撮影
原爆死没者慰霊碑と国旗掲揚台の位置関係がわかるかと(NHK広島放送センタービルからみました)



平和記念公園」編



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国旗掲揚台
  国旗掲揚ポール折れる


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