日本銀行広島支店・原爆被災説明板

  中区袋町の旧日本銀行広島支店前に建立されている「日本銀行広島支店・原爆被災説明板」です。
*2017年になって新しい説明板に取り替えられたことに気が付きました。
日本銀行広島支店・原爆被災説明板        爆心地から約380m
  1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、原爆の強烈な爆風により、外形は残ったものの内部は破壊され、42人の犠牲者が出ました。 
市内の金融機関はほとんど壊滅したため、日本銀行*1)の内部を仕切り各銀行が窓口を設け、(昭和20年)8月8日から業務を開始しました。
写真説明:南西方向から望む日銀広島支店
                        1945(昭和20)年11月 川本俊雄氏撮影
*1)取替える前の旧説明文(右画像)は「日銀」と略していました。
旧・日本銀行広島支店は、1936(昭和11)年竣工で、RC(鉄筋コンクリート)造 地上3階地下1階です。
大理石張りで壁厚が40〜70cmもあり耐震性に優れた建物でした。(被爆当時屋上には1m余の砂を敷詰めていたそうです)
わたしははじめて、2000(平成12)年1月10日に爆心から≒380mの被爆建物であるこの建物を撮影したのです。
頁を編集するのにチト調べるとこの建物も解体されるように思い、広島市民の平和への気持ちも時代と共に風化して行く?のだろうと思ったのです。その時は、わたしは原爆被災説明板という言葉も知らない広島市民だったのです。
原爆被災説明板が市内に45基設置されている事を知り、2004年ここ旧・日本銀行広島支店を訪ねたのです。
2013年広島平和記念資料館を見学した時展示パネルの中にここ被爆した日銀の写真があり撮影角度が少し違っていたので撮影していました。
2015年(被爆70年)に原爆被災説明板設置の回りがわかるようにと撮影していました。2017年のいまになりましたがこの頁を再編集しました。
2017年5月広電宇品線袋町電停から帰宅するのに(広島駅行き)電車を待っているときに旧日銀広島支店の方を見るとここで取り上げている原爆被災説明板の説明板が新しくなっていることに気が付いたのです。
同(2017)年6月になって撮影しましたので、この頁を更新しました。説明文の中には“日銀”と略していましたが「日本銀行」と新しい文言になっていました。
2019年原爆負債説明板の写真をみていて、今頃になりましたが“国泰寺の大クス”の被爆後の姿に注目しました。
20.01.13.更新   17.04.23.再編集  01.01.15裕・追記

02.03.18撮影
広島市中区袋町5-21 旧日本銀行広島支店

02.03.18撮影
原爆被災説明板の画像を使用しています 川本俊雄氏撮影

17.06.23.撮影
(日焼けが無い新しい)原爆被災説明板の画像です。(わたしの腕ではこぼれ日が写っていますが実際にみていただければ)

13.04.08平和記念資料館展示を撮影
広島市中区中島町1 広島平和記念資料館展示パネル (原爆被災説明板の写真と違いましたので)

15.03.21.撮影
旧日本銀行広島支店南西角に建立されています

15.03.21.撮影
旧日本銀行広島支店前には、(戦前からも)広電電車(宇品線)が通っています

17.06.23.撮影
2015年は日焼けした古い説明板でしたが2017年みた時新しい説明板になっていました

17.06.23.撮影

17.06.23.撮影
原爆被災説明板は電車通りの南西側設置されています

19.02.24.撮影
原爆被災説明板は電車通りの南西側設置されています

19.02.24.撮影
原爆被災説明板には(電車通に覆い被さっていた)“国泰寺の大クス”の被爆後の姿が写っています

19.02.24.撮影
(原爆被災説明板の電車通りの南側には過って大クスがあったのだと想像の翼を広げましたが)



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