猿楽町通り周辺・原爆被災説明板

猿楽町通り周辺・原爆被災説明板
  この地域一帯は、藩政時代からの城下町として、能楽(猿楽)師、細工師、医師をはじめ大小の商家が軒を並べてにぎわっていました。
1945( 昭和20) 年8 月6 日午前8 時15分、人類史上初めての原子爆弾が細工町の島病院の上空約580mでさく裂し、爆心直下のこの一帯は、人も街並みも全滅しました。焼け跡には、広島県産業奨励館の残骸(現在の原爆ドーム)だけが象徴的な姿をさらしていました。 
広島商工会議所屋上から猿楽町通りを見下ろす
復元地図は、原爆で消えたかつての町並みを後世に残すため、1998(平成10)年に作成されたもので、この一帯が最も活気あふれていた1940(昭和15)年前後を生存者の情報をもとに再現したものです。

00.11.23.撮影
平和記念公園内に設置された4箇所の原爆被災説明板うちの1つです。
市内電車で平和記念公園を訪れる多くの方は、原爆ドーム電停で降りられ横断歩道を渡り公園に入られることでしょう。
そこに設置されているのがこの猿楽町(さるがくちょう)通り周辺・原爆被災説明板です。すぐに原爆ドームを見学されるのもいいかもしれませんが、チト立ち止まってこの説明板にも目を通され、広島市民の営みがここにもあった事を知っていただいてから原爆ドームを見学されるのもいいかと思い紹介しました。
(平和記念公園内建立の原爆被災説明板)
猿楽町通り周辺
広島県産業奨励館
中島地区
燃料会館
頁を編集して10年ほどが過ぎましたので、頁を見直し原爆被災説明板の周りの状況を撮影し頁を再編集しました。
2004年原爆被災説明板の東側に写っていた‘広島マツダ大手町ビル’は、撮影した2014年7月改修(内部などの解体)工事がはじまっており、展望台や物産館などから成る“広島ピースタワー”に改修し生まれ変ると以前報道で知りましたので、完成したら上(有料という展望台)から原爆ドームが撮影出来るな〜と(わたしは)期待しています。
14.07.27再編集     04.04.07更新    00.12.01裕・編集

04.04.06.撮影
広島市中区大手町一丁目10 (原爆ドーム東、電車通側)
原爆被災説明板の画像を使用しています。 1945(昭和20)年10月初旬 林重男氏撮影
復元戸別地図作成・監修 矢倉会(爆心地猿楽町周辺生存者の会)
下側(北側)が市内電車通り  中央(原爆ドームから西に伸びている道沿いに)猿楽町がありました。

14.07.17.撮影
原爆被災説明板 と 原爆ドーム

14.07.17.撮影
原爆被災説明板の向う側(東側)広島マツダ大手町ビル改修工事がはじまっていました

14.07.17.撮影
原爆被災説明板の後ろ側からみました。 広電・原爆ドーム前電停、旧市民球場跡地



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