平和記念公園・広場の四季(2017年)

  今(2017)年も四季折々平和記念公園の広場を見て季節の移ろいを感じていきたいと思っていますが、通称・原爆資料館の耐震工事が本格的に始まることから(南側)ピロティー下などから広場を撮影はできなくなります。
ことしは、平和記念資料館本館と東館をつなく空中廊下の中間柱付近からを定点にしようかなと思っていますが、どうなりますか。
2月16日(木)12時過ぎで、晴れていました。温い日になってきていました。
広島日赤病院での定期検診後たちよりました。
今月も観光客は(時間的にも?)少ない日でした。(一年で一番寒いと云われる2月ですので訪れる人が少なくても不思議ではないのでしょうが)特に変わったことにも気付くこともなく撮影しました。通称・原爆資料館下の発掘作業は昼食時間になったようで、発掘作業はいったん昼休みになったようでした。
17.02.17.更新   17.01.29.裕・記編集

17.01.28.撮影

17.02.16.撮影
2017年1月の広場 2017年2月の広場
2017年2月

17.0216.撮影
原爆死没者慰霊碑北側から広場をみました。 通称・原爆資料館下には発掘作業用仮囲いがみえます

17.02.16.撮影
原爆死没者慰霊碑前から広場をみました

17.02.16.撮影
通称・原爆資料館仮囲いの前から、広場、原爆死没者慰霊碑、原爆ドームをみました

17.02.16.撮影
 ことしはここからを定点撮影にしようかなと思っていますが

17.02.16.撮影
(これまでの定点撮影場所から)みました
  中國新聞報道で次のようなことを知りました。
『広島市は2017年1月6日、原爆資料館本館下で進めてきた発掘調査で、墓地があった被爆時の地層のさらに下から、江戸期のものとみられる土葬墓の跡が見つかったと発表しましとた。
発掘調査を2016年12月末に終える予定だったが、さらなる出土がないか、範囲を広げて、ことし3月まで続ける。
本館敷地の北側、浄圓寺の墓地があった被爆時の地面を60cm70cm掘り下げたところ、先月上旬に土葬墓の跡が出土。遺体を納めた木製の「座棺」を埋めた跡とみられる、直径80cmほどの円形の遺構が約20ヶあった。その中に残っているのは人の骨とみている。
江戸期の土葬墓の上に、明治から大正期にかけて近代のお墓が築かれた可能性があり、近代のお墓は1945(昭和20)年8月6日原爆で倒壊。浄圓寺は現在中区中島町に移転していますので、広島市は出土した骨を同寺に引き取ってもらう。

17.02.16.撮影
あくまでも予定ですから1月31日でもいいのでしょうが、3月と訂正した方がいいように(わたしは)思います

17.02.16.撮影

17.02.16.撮影

17.02.16.撮影
 
仮囲いシートの隙間からみましたが、(市民に隠すものはないのですから)中がみられるところを設けてもらいたいものです。
2017年1月
1月28日(土)12時ころ快晴でした。
今週は雪が降り積もり、NHK全国ニュースでも積雪の平和記念公園が報道された週でした。しかし訪ねた土曜日は快晴で、冬にしては温かな日でした。
観光客は少ない日で、TVニュースでみる春節休みで中国からの観光客はここ平和記念公園では(わたしが撮影していた時間には)出会うことがありませんでした。
また、報道で知った、被爆時の発掘作業は終わったというものの、その層の下に江戸期のものとみられる土葬墓の跡が見つかりで発掘調査を先月末(2016年12月末)に終える予定だったが、さらに(一応3月まで)延長することになったのでその状況を少しでも撮影できたらと思っていました。
   17.01.29.裕・記編集

17.01.28.撮影
原爆死没者慰霊碑北側から広場をみました。 通称・原爆資料館下には発掘作業用仮囲いがみえます

17.01.28.撮影
 原爆死没者慰霊碑前から広場をみました

17.01.28.撮影
通称・原爆資料館仮囲いの前から、広場、原爆死没者慰霊碑、原爆ドームをみました

17.01.28.撮影
 ことしはここからを定点撮影にしようかなと思っていますが

17.01.28.撮影

17.01.28.撮影
(これまでの定点撮影場所から)みました
  中國新聞報道で次のようなことを知りました。
『広島市は2017年1月6日、原爆資料館本館下で進めてきた発掘調査で、墓地があった被爆時の地層のさらに下から、江戸期のものとみられる土葬墓の跡が見つかったと発表しましとた。
発掘調査を2016年12月末に終える予定だったが、さらなる出土がないか、範囲を広げて、ことし3月まで続ける。
本館敷地の北側、浄圓寺の墓地があった被爆時の地面を60cm70cm掘り下げたところ、先月上旬に土葬墓の跡が出土。遺体を納めた木製の「座棺」を埋めた跡とみられる、直径80cmほどの円形の遺構が約20ヶあった。その中に残っているのは人の骨とみている。
江戸期の土葬墓の上に、明治から大正期にかけて近代のお墓が築かれた可能性があり、近代のお墓は1945(昭和20)年8月6日原爆で倒壊。浄圓寺は現在中区中島町に移転していますので、広島市は出土した骨を同寺に引き取ってもらう。
通称・原爆資料館の耐震補強工事の開始は発掘調査の終了を待つため、4月以降にずれ込む見通しだが、2018年7月の再オープン、2019年7月の工事完了というスケジュールに影響が出ないよう、工事施工業者と協議する予定。』(長久豪佑記者署名の記事で知りました)

17.01.28.撮影
発掘の状態はよくわかりませんがみました

17.01.28.撮影

17.01.28.撮影

17.01.28.撮影
発掘された土葬用の甕か?なと思いながら撮影しました



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