|
広島市中区中島町の平和記念公園広場の四季を撮影していこうとする頁です。
ここでは「平和記念公園広場の四季2025年」版を取り上げます。 |
今(2025)年も四季折々平和記念公園(の広場)を見て季節の移ろいを感じていきたいと思っています。 |
※ |
2024年のノーベル平和賞を日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞しました。
受賞理由:核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が二度と使用されてはならないことを証言によって示してきたことで。 |
|
ノーベル賞受賞と被爆80年ということからことしの平和記念公園は内外から多くの観光客を迎えることになるのではないでしょうか。 |
|
|
3月27日(木)11時15分頃で、くもりでした。
この日は、広島バスセンターから平和記念公園に行く相生通の歩道から外国人観光客が多いな~と思い、平和記念公園も混雑していました。春休みに入っているからか日本人観光客も多く訪れていましたが外国人観光客の方が多いと感じました。
久しぶりに平和記念資料館に入館するための長い列が出来ていました。これほどだと資料館内も混雑していて展示資料をじっくり見学することは出来ないように思いました。 |
25.03.28.更新 25.01.23.編集 |
|
|
|
|
2025年3月27日 |

25.03.27.撮影 |
≒北東側より平和記念公園広場をみました |
|

25.03.27.撮影 |
原爆死没者慰霊碑前広場から平和記念公園広場、通称・原爆資料館をみました |
原爆死没者慰霊碑にお参りする人、中央から撮影しようとする人等の列が出来ていました |

25.03.27.撮影 |
平和記念資料館へ入場の長い列(L字形)が出きていました |

25.03.27.撮影 |
(通称)原爆資料館下ピロティーから原爆死没者慰霊碑、遠く原爆ドームをみました |

25.03.27.撮影 |
(通称)原爆資料館南側広場には多くの観光バスが留まっていました |

25.03.27.撮影 |
平和記念資料館入館待ちの長い列ができていました |
|
|
|
2025年2月20日 |
|
2月20日(木)12時半頃で、くもりでした。
冬場の平和記念公園が戻ってきたような日で、外国人観光客も日本人観光客も少ない平和記念公園でした。
撮影したこの日は、平和記念資料館の展示資料を入れ替えるための臨時休館中でしたので、それも大きな理由のようでした(が)。
次に被爆アオギリを撮影した後、国立追悼祈念館に建ち8寄ってみると多くの外国人観光客が見学していました。 |
25.02.21.編集 |
|

25.02.20.撮影 |
≒北東側より平和記念公園広場をみました |
|

25.02.20.撮影 |
原爆死没者慰霊碑前広場から平和記念公園広場、通称・原爆資料館をみました |

25.02.20.撮影 |
(通称)原爆資料館下ピロティーから原爆死没者慰霊碑、遠く原爆ドームをみました |

25.02.20.撮影 |
(外国からの人たちが)“平和の泉”の噴水の変化を眺めていました |

25.02.20.撮影 |
(臨時休館中の)平和記念資料館東館前 |

25.02.20.撮影 |
2025(令和7)2月18日(火)~2月20日(木)平和記念資料館の臨時休館を知らせる貼紙 |
|
|
|
2025年1月22日 |
|
1月22日(水)11時半頃で、薄曇りでした。
冬場の平和記念公園が戻ってきたような日で、外国人観光客も日本人観光客も少ない平和記念公園でした。
しかし、新年の始まり1月というのにもう修学旅行か?と思った観光バスが留まってきていました。
帰宅後、その愛知県立刈谷工科高等学校のweb siteをみると2年生修学旅行とありました。
他の見学者が少ない時期に(通称)原爆資料館の見学はじっくりと見学できることであろうことからある意味賢い時期での修学旅行ではないかと(わたしは)思いました。 |
25.01.23.編集 |
|

25.01.22.撮影 |
≒北東側より平和記念公園広場をみました |
|

25.01.22.撮影 |
原爆死没者慰霊碑前広場から平和記念公園広場、通称・原爆資料館をみました |

25.01.22.撮影 |
(通称)原爆資料館下ピロティーから原爆死没者慰霊碑、遠く原爆ドームをみました |

25.01.22.撮影 |
(観光バスが留まってきていました) |
|

25.01.22.撮影 |
平和記念資料館東館前
観光バスから下りてきた刈谷工科高校2年の生徒たちが集まってきていました |
|
|