原爆ドーム説明碑汚損事件(2003年)

  中区大手町の平和記念公園・原爆ドームの「説明碑汚損事件(2003年)」について取り上げました。
新聞などの報道によると        
『平成15年10月19日午後5時50分頃、原爆ドーム前に設置の説明碑に黒っぽい油性塗料のようなものがついているのを通行人がみつけ110番通報した』 。警備員が午後五時に巡回した時は異常はなかった。
‘御影石で出来た縦≒1m 横≒2.4mの碑の表面に手のひらで押しつけたような形が三箇所とシミのような跡が一箇所ついていた。大きいものは≒45cm、油性塗料のようなものが垂れて碑文が読みにくくなっていて広島市は20日に塗料を落とす作業をする’そうです。
広島県警(広島中央署)が器物損壊で捜査を開始したそうです。    
以降の経過↓
2003年10月21日になって撮影に行き撮影し、この頁を編集しました。
汚れをおとしたと聞きましたので10月23日撮影に行き、この頁を更新しました。
原爆ドームの説明碑の説明文しか紹介していませんでしたが、2023年の今になりましたが、世界遺産、保存工事の説明文を加えました。
23.07.22.更新    03.10.20裕・記編集
経   過
10月20日は、午前10時ごろから県警鑑識課員らが実況見分をして、汚れの成分を採取。
その後、清掃業者の社員3人が、塗料の剥離剤など4種類の薬品を順番に使い、効果を確かめる試験作業をした。薬品でぬらした布を表面に張り付け、数時間後にはがしたところ、汚れが薄くなったことが確かめられた。この結果をもとに、ゼリー状の油の染み抜き剤が効果があると判断。一晩付着させ、汚れの落ち具合を確認することにしている。
大知裕・市緑政担当課長は「こうした行為は許せないというより、怒りを覚える。当面の間、警備員による巡視を強化する」とTVニュースで語っていました。
10月21日も汚れを落す作業をしたが、汚れは薄くはなったが除去できなかったとTVニュースで報道していました。
『説明碑が汚損された器物損壊事件で、市が異常がないのを最後に確認したと発表した時刻より約2時間前、既に汚れている状況を、見学者が写真撮影していたことが21日、分かった。広島中央署は発生時刻の特定を急いでいる。』とのことです。
10月22日の作業で汚れがほとんどわからない程度になり養生、仮囲いを撤去して普段通りになったとTVニュースで報道していました。

03.10.21撮影

03.10.23撮影
報道によると油の染み抜き剤を塗っているそうです 汚れは除去されたと聞き、行ってみました

03.10.21撮影

03.10.23撮影
昨日の除去作業で落しきれなかったので養生していた 養生・バリケード撤去されていました

03.10.21 9:00頃撮影


03.10.2312:00頃撮影
西から説明碑を見る

03.10.21撮影


03.10.23撮影
バリケードで囲っていましたが撤去されていました

03.10.21撮影
(原爆ドーム北側設置)「原爆ドーム」説明碑など
原爆ドーム北側に広島市によって設置されている「世界遺産原爆ドーム」説明碑(1996年設置)+「原爆ドーム」説明碑(1967年設置)+「原爆ドーム保存工事」説明碑を取り上げました。
2003年中央の原爆ドーム・説明碑の汚損事件が起こったことからその説明文を読みました。
その両側の世界遺産と保存工事の説明文も読んではいましたが、頁上に書き起こしていなかったのです。
2023年の今になりましたが、書き起こしてみました。
23.07.22.更新    03.10.20裕・記編集

03.10.23撮影
「世界遺産原爆ドーム」説明碑+「原爆ドーム」説明碑+「原爆ドーム保存工事」説明碑

23.07.20撮影

03.10.23撮影

03.10.23撮影
   
世界遺産原爆ドーム説明碑   原爆ドーム説明碑
  原爆ドーム保存工事説明碑
  世界遺産原爆ドーム
人類史上最初の原子爆弾による惨禍を伝える歴史の証人として また 核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボルとして「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」に基づき世界遺産一覧表に記載された
   原爆ドーム
昭和20(1945)年8月6日 史上はじめての原子爆弾によって破壊された旧広島県産業奨励館の残骸である
爆弾はこの建物のほぼ直上約600mの空中で爆発した その1個の爆弾によって20万をこえる人々が生命を失われ半径約2Kmに及ぶ市街地が廃墟と化した
  この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため 国の内外の平和を願う多数の人々の寄付によって補強工事を施し これを永久に保存する
   原爆ドーム保存工事
平成2(1990)年3月
原爆ドームを永久に保存するため昭和42(1967)年にひきつづき第2回目の補強工事を施した 今回も国の内外の平和を願う多くの人々から多額の寄金がよせられた その寄金の一部を工事費に充てるとともに将来の補強工事に備えるため原爆ドーム保存事業基金を設置した
平成8(1996)年12月7日
広島市
昭和42(1967)年8月6日 広島市

*説明文では「600メートル」
「2キロメートル」
平成15(2003)年3月
第3回目の保存工事となる現状維持工事を施した。原爆ドームが平成8(1996)年12月に世界遺産に登録されてからはじめての工事となった。工事費には、原爆ドーム保存基金の一部を充てた。



01.11.21裕撮影 世子平像落書きされる
01.12.07裕撮影 原爆ドーム外壁に落書き
02.03.06裕撮影 原爆死没者慰霊碑にペンキ
03.08.01裕撮影 折り鶴放火事件
03.10.21裕撮影 原爆ドーム説明碑汚損事件
05.07.28裕撮影 傷つけられた原爆死没者慰霊碑
06.01,12裕編集 平和祈念像に落書き(画像ありません)
08.07.31裕撮影 堀川町原爆慰霊碑・横転破損事件
12.01.05裕編集 原爆死没者慰霊碑に金色塗料(画像ありません)
12.09.27裕編集 原爆死没者慰霊碑・赤色で汚される(画像はありません)
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平和記念公園などで起きた器物損壊事件


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