原爆ドーム・鉄骨階段(旧広島県産業奨励館鉄骨螺旋階段)

  中区大手町の平和記念公園に残る原爆ドーム(竣工時・広島県物産陳列館)中庭に降りる鉄骨らせん階段をこの頁では取り上げました。
※鉄骨階段でしたので、曲がりながらも今日に被爆の惨状を伝えています。
1915(大正4)年4月5日廣島縣物産陳列館(広島県物産陳列館)として竣工した建物には、中庭がありその南側に3階2階から1階中庭への(主に非常時の避難階段として)鉄骨の螺旋(らせん)階段が設置されていました。
1933(昭和8)年11月に廣島縣産業奬勵館(広島県産業奨励館)と名称を変え、1944(昭和19)年3月からは建物は(戦時)統制会社の事務所などに使用されていました。
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分(爆心地から≒160m)被爆してし館内に居られた30余名の方々は一瞬のうちに亡くなったと考えられています。
ここで取り上げた螺旋階段もほぼ真上からの原爆の爆風などで破壊しましたが、破壊されたその姿を現在に残しています。
原爆ドームの四季2004年の9月中庭の鉄骨階段を見るという事で、撮影し頁を編集していました。
この頁は原爆ドームの周りに設置されている柵の外より撮影した画像で編集したのでした。
広島市は、毎年『国内ジャーナリスト研修「ヒロシマ講座」』を行っているそうで、
今(2015年)回、その研修中に原爆ドーム柵内の見学があると云う事で、わたしはジャーナリストではありませんが、原爆ドーム柵内の見学に参加させていただけることになり、この鉄骨階段も根際から撮影したので、2004年の頁はそのままにこの頁を新しく編集しました。
15.08.03.裕・記編集

05.11.19.撮影
≒東側から鉄骨(螺旋)階段をみました

04.09.18撮影
1階平面図 図面下が≒西、上が≒東  中庭茶色○印が螺旋階段 ※図面は広島市の資料を使用しました

04.09.18撮影
≒東側から鉄骨(螺旋)階段をみました

04.09.18撮影
≒南東から鉄骨(螺旋)階段上部をみました

04.09.18撮影
≒南よりみました(階段踏板がみえます)

04.10.01撮影

15.07.29.撮影

15.07.29.撮影
中庭跡北側から南側に位置していた破壊した鉄骨(螺旋)階段跡をみました

15.07.29.撮影
中庭からみました (手前側に地下に行くコンクリート階段が少し写っています)

15.07.29.撮影

15.07.29.撮影

15.07.29.撮影
鉄骨(螺旋)階段跡足元部分をみました〔手前などの茶色丸パイプ、ブレースは階段倒壊防止用のパイプです〕



「原爆ドーム」編



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原爆ドーム(概説)
旧・廣島縣産業奬勵館
旧広島県産業奨励館・中央木造螺旋階段
旧広島県産業奨励館・鉄骨螺旋階段
旧広島県産業奨励館・地下室への階段



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