(被爆当時の)廣島縣産業奬勵館

  1945(昭和20)年11月に米軍によって撮影された「(被爆当時の)広島県産業奨励館」の写真です。
広島平和記念資料館・東館地階の図書室に原爆関連の慰霊碑に関する資料がないか訪ねてみたのです。
居られた啓発担当の方と話している中で「平和データーベース」の中の画像で許可申請すればHPに使用できるものがあることを聞いたのです。
個人の画像は許可にならないと思うが、米軍撮影の画像は許可になるものが多いと聞き、『1945(昭和20)年11月米軍撮影画像:HG120C』をわたしの原爆ドームの頁に使用したいと申請書を提出し、後日許可がおり、原爆ドーム関連のこの頁にも使用しました。
1945年に撮影された原爆ドーム画像が平和記念資料館に展示されていましたので撮影した画像を追加しました。
*2003年平和記念資料館の許可をいただき掲載した画像とは少しばかり違った角度から撮影されていたからです。
2006年から平和記念資料館展示資料をフラッシュを焚かなかれば撮影可になったことから展示パネルを撮影しました。
撮影者は?ですが、写真提供者は今西紀夫氏とありましたので、日本人の手で撮影された写真だろうとわたしは考えていますが。
20.10.09.更新     03.10.09裕・編集

写真:広島平和記念資料館提供
HG120C
画像種別 写真
画像名 病理学研究所返還写真HG120
管理番号  
サイズ   [cm] 横   [cm]
カラー
素材技法  
撮影描写月日 1945/11/00
撮影描写時刻  
地域場所 爆心直下から原爆ドームを望む
原爆ドーム,本川国民学校
保存場所 事業部壁面収納B08
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説明 爆心地・島病院から原爆ドームを望む。
目の前のレンガのがれきは、広島郵便局本局跡原爆ドームとの間に西蓮寺の墓石、中央左寄り遠方に本川国民学校が見えます。
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備考 爆心地から北西部を見
氏名 米軍
郵便番号 --
住所 --
電話番号 --

2010.08.22.平和記念資料館展示パネル撮影
  爆心地から100m
広島県産業奨励館を南から見る
提供 今西紀夫
1945(昭和20)年
産業奨励館は爆心地から≒160mですから
撮影した場所が爆心地から100mなのでしょう。
( 右後側)
広島商工会議所
爆心地から≒260m
鉄筋コンクリート造
4階+地下1階

共同設計者:今井兼次
(1895-1987)

2003.10.09 裕撮影
南東より原爆ドームを撮影しましたが、被爆当時と違い爆心地からは現在は建物に遮られますので同じ方向から撮影しました。



「原爆ドーム」編



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広島県産業奨励館・原爆被災説明板


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