(旧井原村大寺地区)慰霊碑

  安佐北区白木町井原の荒神社に建立されている「(井原村大寺地区)大東亜戦争戦没者慰霊碑」です。
県道37号とほぼ並行するように通る白木街道井原大寺地区の荒神社に建立されています。
【よく見ていても通り過ぎたわたしですので、大寺会館(も民家とさほどの違いはないようでしたが)目標建物としてこの慰霊碑を訪ねられたらと思いましたのでくどいでしょうが書きました。】
正面: 慰霊碑
 側面: 昭和五十年春    大寺部落建之
             発起 大寺大正会 
慰霊碑の根際に建立のされている大東亜戦争戦歿者・石碑をみると
戦没者7名の氏名。享年と没日付没地が刻まれています。
昭和14(1939)年12月25日から昭和21(1946)年1月0011日までの戦没者7名が刻まれています。
その中で昭和20(1945)年8月6日広島市で亡くなった玉井哲郎さん(31)は軍人だったと思われますが(義勇隊だったのかもしれませんが)原爆投下当日の犠牲になった方でした。また、同(1945)年8月16日広島市で亡くなった三方文子さん(16)は動員学徒としてでしょう原爆によって重傷を負い10日後故郷に帰ることもできず亡くなったのだとおもうと目頭が熱くなりました。
白木街道に面した大寺会館(白木町井原5650-3)横の小道を入ってIR芸備線越に荒神社があります。
1889(明治22)年4月1日4月1日 - 町村制の施行で市川村単独村制。
1949(昭和24)年10月1日市川村の一部(大寺地区)が井原村に編入。
          (大寺地区以外の)市川村+秋越村=高南村発足。
1956(昭和31)年9月30日井原村+志屋村+高南村+三田村=白木町が発足。
1973(昭和48)年10月22日白木町が広島市に編入。
1980(昭和55)年4月1日政令都市に移行。安佐北区白木町となりました。
白木町の歴史をみると井原村大寺地区が単独の慰霊碑を建立したことがうかがえました。
資料でこの井原村大寺地区慰霊碑を知りましたがこの地区に縁がなく行くことはなかったのです。
今(2015)年被爆70年ですので、(女房運転の車で)訪ねました。
JR志和口駅からJR市原市駅の方に白木街道をいきました。地図をみて荒神社を目標に行きこの辺りではと思ってはいたのですが、見つけきれず県道37号と交わる地点までいきましたので、引き返しました。他の車はほとんどないので、ゆるりと運転してもらい大寺会館の掲示板をみてこの辺りではと車から降りて探しました。道を入ると芸備線越しに神社が見えましたのでここだと思いました。
15.11.22.裕・記編集

15.11.16.撮影
広島市安佐北区白木町井原   荒神社        (手前:JR芸備線の線路)

15.11.16.撮影

15.11.16.撮影

15.11.16.撮影

15.11.16.撮影

15.11.16.撮影

15.11.16.撮影

15.11.16.撮影



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